【寄稿】連載第1回:柳田國男で読む主権者教育

【寄稿】 連載第1回:柳田國男で読む主権者教育 『青年と学問』を読む/柳田國男と日本国憲法

  • 2016.12.01

柳田國男『青年と学問』
柳田國男『青年と学問』
岩波文庫
大塚英志『感情化する社会』
大塚英志『感情化する社会』

 この時、ぼくが「社会に役に立つ」と表記したのは学問が、企業などの金銭的利益に結びつくという経済性や、「国益」と呼ばれる国家の利益に寄与する意味では決してない。
 あくまで目の前の人々の「生活苦」をどうするのか、人々の問題解決手段として役に立つべきだ、柳田は言っている。そのことにこそまず注意したい。
 だから、もし君たちが柳田のこのくだりからまるでたった今、私たちの目の前にある「貧困」や「格差」のことを言っているように聞こえたとしたら、それはそう間違ってはいない。

 『青年と学問』は1931年に再版されたと記したが、この再版の時期が実は重要だ。
 1929年、ウォール街の株の暴落に始まる世界恐慌は日本にも及ぶ。日本では都市部は株価暴落、工場労働者の解雇や賃金下落が続く。しかし決定的な影響を受けたのは「地方」である。米価が暴落し、更に1930年の「豊作飢饉」、つまり供給量が増えることで更に米価がまたも暴落、そして翌年は逆に東北、北海道が「凶作」で追いうちをかける。農村部が壊滅的な打撃を受け、農家の若い女性が「身売り」するという事態さえ続出した、とされる。
 そういう流れの中でこの『青年と学問』は復刊されたということが重要である。
 しかも恐慌や凶作はいわばトリガーであり、大正から昭和初頭にかけて高率の物細小作料(生産物で小作農家が地主に土地の使用料を払う制度)が小作農家の生活を圧迫し、農家の農業収入も下落している、という背景がすでにあった。

 現在のこの生活苦、もしくはこうして争いまた闘わねばならぬことになった成行(なりゆき)を知るには、我々の持つところの最も大なる約束、すなわちこの国土この集団と自分自分との関係を、十分に会得(えとく)する必要がある。

 「現在のこの生活苦」「こうして争いまた闘わねばならぬことになった成行(なりゆき)」なるくだりは、これが長野県下での講演の草稿だということを踏まえれば、講演の時点までに顕在化し始めていた農家の経済的疲弊や「小作争談」のことを指ししていることは明らかである。
 こういった農村の疲弊と関東大震災という2つの社会的危機の中で、柳田は彼の学問の本筋に帰還したのである。

 それではその「学問の本筋」とは具体的には何を目的とするのか。
 それについて、柳田は第一節の最後に、やや唐突にこう言う。

 今が今までぜんぜん政治生活の圏外(けんがい)に立って、祈?祈願(きとうきがん)に由(よ)るのほか、よりよき支配を求めるの途を知らなかった人たちを、いよいよ選挙場へことごとく連れ出して、自由な投票をさせようという時代に入ると、はじめて国民の盲動ということが非常に怖(おそ)ろしいものになってくる。

 実は、これは普通選挙のことを言っているのである。
 ぼくが「主権者教育」の副読本として、柳田國男を材料にするのは、柳田國男の学問が、この『青年と学問』をきっかけに、「選挙民」つまり、有権者・主権者に自らがどうやったらなれるのか、その、具体的な実践や問いかけを行なうことを「本筋の学問」として選んだからだ。
 だから、凶作を回避し、豊作を祈る農耕儀礼に自分たちの運命を托すのでもなければ、きっといつか良い政治家が現われて何とかしてくれると、待ち続けるのでもなく、一人の有権者として投票して議員を選ぶことで自ら問題を解決する新しい時代になったのだ、と柳田は言うわけである。

 日本では1924年6月に満25歳以上の成年男子に選挙権が与えられた(女性たちが選挙権を手にするのは残念ながら戦後まで待たなくてはいけない)。このように、『青年と学問』は普通選挙法成立を受ける形でなされた講演が基になっていることがわかる。まさに主権者教育としての講演であるわけだ。

 先に引用した短いくだりで重要なのは、「国民の盲動」への危惧をはっきりと述べていることである。
 これは民主主義につきまとうポピュリズムのリスクである。有権者が必ずしも自らにとって正しい選挙をするわけではない、ということは『青年と学問』再版の年から始まる十五年戦争が、普通選挙で選ばれた議会によって遂行された事実を以て、明らかになってしまう。そして有権者が自分たちにとって正しい選択をできないことがあるというこのリスクは、2016年のイギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領の当選によって今も継続する問題だといえる。無論、この国の「現在」もそうであることは言うまでもない。
 柳田はそのリスクを予見していたから、普通選挙施行の前に、「公民教育」、つまり主権者教育を主張するのだ。

 「公民」には、自分たちの「この生活の現在」と「近い将来」を結びつけることができる知見が必要だと言っていることに注意しよう。「この国この時代」と記した後に「この生活」と一人一人の暮らしがはっきりと示されていることにも注意すべきである。柳田は「個人」を「公民」の出発点としようと考えていたのだが、それはこのくだりからもうかがえる。

 改めてこの一節が「公民教育の目的」と題されていることに注意しよう。重要なのは、柳田の言う「公民」は「公」に従う人のことをいうわけではない、ということだ。「滅私奉公」の人間を育てることは「公民教育」ではないのである。何のために「公民教育」を行なうのかといえば、その目的とは正しく選挙のできる「有権者」の育成にあるのだ。
 それが「青年と学問」の第一節「公民教育の目的」での主張である。

 だからこそ「諸君の新しい学問」はそのために、つまり「公民教育」のために必要とされる、と青年たちに説く。ここで柳田が「私の」と言っていないことも大切である。柳田は農村の「青年」たちに自ら「公民教育」、つまり今のことばでいう主権者教育の担い手になる学問を興すべきだ、と言っているのだ。

 まとめれば、主権者教育の役に立つ学問を普通選挙施行で新たな有権者となる君たちは自ら作りなさい、と語りかけているのである。それが、この「青年と学問」全体の意味でさえある。

 こうして見ると、柳田の「学問の本筋」が「主権者教育運動」であることははっきりわかる。柳田は上からの主権者教育でなく、自ら主権者たらん、という「運動」を起こそうとしているのである。
 柳田國男の「民俗学」とはこのような社会運動であり、だから今、改めて「主権者教育」の教材として柳田は読まれるべきなのである。柳田が「憲法の芽を生やさねば」と言ったのは、このような主権者教育としての学問に、民俗学がとうとうなり得なかったことへの憤りがあることが改めてわかるだろう。

 さて、「青年と学問」にはもう一つ、震災や恐慌とならんで、重要な歴史的文脈がある。その文脈を踏まえて続く第2節「人種観の改良」を読んで行こう。
 もう一つ重要な文脈とは、現在の日本国憲法に於ける前文や九条へと連なるものである。
 「いわゆる軍事教育が日本人を「戦う国民」とするという懸念(けねん)は、おそらく絶対にないこととは思う」と、この時点で柳田が釘を刺していることは重要である。その上で以下のくだりの意味を読み取ろう。

 申すまでもなく国防の第一線は、毒ガスでもなければ潜水艇(せんすいてい)でもない。まず国と国との紛争を解決すべきものは、討論であり主張であり、不当なる相手方の反省であり屈伏であるわけだが、現在各国の持っている国際道徳は、不幸にしてまだ我々の個人道徳と、同列にまでも進んではきていない。

 柳田は軍事力でなく、外交的交渉によって国際紛争を解決すべきだと言っている。しかし、そのための「国際道徳」は「我々の個人道徳と同列」に達していない、という。しかし、この時「我々の個人道徳」を「我々日本人の個人道徳」などととってはいけない。日本人は道徳的なのに、周辺の国々はそうではない、という意味ではないのである。我々とは、個人としての人間普遍のことを意味する。つまり、人間個々としての道徳と、「国家の道徳」を柳田は、はっきりと分けているのである。
 従って、この「個人道徳」とはこの後の「世界一般」の「考え」に対応する。

 しかし世界一般から言うならば、もう沢山(たくさん)だと考え出したものがはるかに多数を占めている。遅々たる歩みには相違ないが、今や何かこれに代るべき手段を発見しようということに、世の中がなってきたのである。代るべき方法はそう多く有るべき理由がない。

 戦争必要論を唱える政治家もいるが、「世界」中の「一般」の人々の「個人道徳」は戦争以外の「代るべき方法」を実践することが必要だと説く。つまり、柳田はここで、不戦思想を唱えているのである。
 そのためには、まず、「自ら知り」「争いの原因と結末とを考える」学問が必要だと柳田は考えるわけだ。改めて触れるが、敗戦後、柳田は「何故戦争に負けたのか」を学問は説明できていなかったと憤る。それは、今度は戦争に勝つためでではない。何故、戦争と言う選択をしてしまったのかを自らの学問で答えられねば駄目だ、と考えたからだが、そのような立場は戦前から一貫している。
 (柳田の弟子で、ぼくの師にあたる千葉徳爾は「戦争」をその晩年の彼の学問の主題として死んでいくのだが、それについては一冊、別の書物を用意してある)
 つまり「学問の本筋」とは国内の問題のみならず、戦争をしないと言う、国際間の倫理を可能とする「国」作りに有権者がコミットするための「考え」を養う「学問」としても、構想されていることがわかるだろう。
 そして、そのために柳田が主張するのが「異人種観の改良」、つまり異文化への偏見の戒めと、確かな知識に基づく異文化理解である。

 過去の日本がこの島々の中において、しずかに仲よく一国限りの平和を楽しんでいた時代にも、外から来る者はみな敵なりと認め、日本国民でないものはみな一つに固まってあたかも舌切雀(したきりすずめ)の婆の葛籠(つづら)の中から飛出す者のように、いつかは寄ってたかって我々を犯すであろうと考えることは、無益にしてかつ結局は損失であった(中略)、ことにそのような大ざっぱな異人種観は邪魔(じゃま)ものである。

 他国が「寄ってたかって我々を犯す」、つまり日本を侵略するという思い込みは無益であり、捨てなくてはいけないと柳田は1925年、つまり「現在」からおおよそ90年前に語っていたことを考えた時、改めて君たちは、今のこの国のアジアへの感情の中に、未だ同じ思い込みがあることに考えを及ぼす必要がある。柳田がこのような外国への被害者意識は国際協調にとっては邪魔なのだ、と言っていることは重要だ。このような「思い込み」が数多のアジアへの判断にバイアスをかけてはいないか、と考える冷静さが今も必要なのである。
 だからこそ、柳田は「個人の道徳」を「国家の道徳」に反映させるためのツールとして「普通選挙」がある、と結論するのである。

 こうなるともはや出先(でさき)の外交官や、時の武人団の意向などに、和戦の判断の鍵を委(ゆだ)ねて置くわけには行かぬ。国民自身が直接に、この重要なる根本問題を考えて見なければならぬ。すなわち普選はいわばそのための普選であったのである。

 「普選」というのは「普通選挙」のことを言っているのである。

 さて、こうやって「青年と学問」の最初のくだりを読むと、まるで戦後憲法のようだ、と君たちも改めて思うはずである。
 改めて日本国憲法の前文を踏まえて、確認してみよう。

 日本国憲法は日本という国が「日本国民に正当な選挙でなされた国会に於ける代表者を通じて行動」することがまず前提としてある。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように注意し」(柳田の「戦争必要論」を未だ唱える政治家がいるというくだりを思い出そう)、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」、つまり柳田のいう「個人道徳」に基づく平和を愛する「諸国民の公道と信義に信頼して」、武力を放棄しようとするものだ。
 このように「日本国憲法」は「国家」でなく「日本国民」及び「諸国民」、つまり人間相互の信頼や道徳を何より出発点としている。その道程には「公正な選挙」という民主主義システムがある。こうして整理すると、改めて「青年と学問」に於ける柳田の主張と正確に重なり合うことがわかる。

 さて、ぼくは既に柳田が枢密院顧問官として戦後憲法の審議に立ち合ったということを記した。
 そして、そこで柳田が何か言った記録はない、とも話した。
 しかしそれは形式上、柳田がこの審議に立ち合ったことを意味しない、むしろ、責任を背負っていた、というぼくの考えも示した。
 枢密院顧問としての柳田の目の前にあった戦後憲法草案は、これまで見て来たように、彼が「青年と学問」で説いた内容そのものであったはずだ。だから敢えて何も言う必要がなかったのである。
 そう考えたほうが納得がいく。
 すでに述べたように、ぼくは、いわゆる、戦後憲法押しつけ論に強い違和を覚えるのは、戦前に柳田の『青年と学問』で同じ理念があらかじめ語られ、そして、その著者としての柳田によって戦後憲法草案が承認された、という事実を大切に思うからだ。

 それにしても柳田の戦前の考えは、何故ここまで戦後憲法と一致するのか。
 それは『青年と学問』に於ける平和主義は、第一次大戦後、1928年8月に締結されたパリ不戦条約に至る流れと一致しているからだ。
 その関係は、1928年1月刊行、1931年再版という刊行の日付からもそのことは確認できる。この『青年と学問』の刊行の日付は震災後、大恐慌、普通選挙、不戦条約と幾重にも重なる文脈の上にある。それほどにこの時期はこの国の近代にとって重要な時期であった、といえるだろう。

著者プロフィール(大塚英志

大塚英志(おおつかえいじ)1958年生まれ。まんが原作者、批評家。最新刊『感情化する社会』。本書は韓国での翻訳出版が決定。本書に関わるまんが原作としては、山口二矢、三島由紀夫、大江健三郎らをモチーフとした偽史的作品『クウデタア2』、本書に関連する批評として、『物語消費論』『サブカルチャー文学論』『少女たちの「かわいい」天皇』『キャラクター小説の作り方』『更新期の文学』『公民の民俗学』などがある。

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