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感情天皇制の起源としての玉音放送

大塚英志『感情化する社会』
2016.9.29搬入

 このような「感情化」と象徴天皇制の結びつきについて、つまり、感情天皇制とは象徴天皇制の到達点だということについて、まず、整理しておきたい。象徴天皇制の出発点を制度としては戦後憲法に見出すのは当然だが、天皇の「感情化」はそれより前、一九四五年八月一五日の玉音放送にさかのぼれる、と言える。

 この玉音放送で注意すべきは、それが国民との関係を「共感化」するものであった、という点だ。

 まず昭和天皇は自らの政治的判断に対して「東亜ノ解放二協力セル諸盟邦二対シ」、まず「遺憾の意」を「表明」し、次に国民に対してこう述べる。

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ悲命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

 「臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル」、つまり国民の「感情」を私はよくわかっている、と昭和天皇は国民へ「共感」を表明するのである。だから国民もまた「堪ヘ難キヲ堪ヘ」る私の気持ちをわかってほしい、と訴える。このように玉音放送は天皇の国民への「共感」と国民からの「共感」をともに求めている。理性や論理による説得ではない。現行天皇の「お気持ち」と実は全く同じロジックがすでに用いられていることは、ここから戦後の天皇制が始まった一つの証左にはなろう。

 しかし同時に昭和天皇は国民の「感情」に対してこうも述べている点だけは留意しておく。

夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

 「情ノ激スル所濫」であること、つまり「感情」の理性的な抑制を「国民」に求めているのである。これは昭和天皇が「感情」を客観視する理性や倫理の代行者として同時にふるまおうともしている、と理解していい。天皇と国民が感情を互いに理解し合う一方で、同時に感情の暴走への中立的な審判者に彼はなろうとしていた。「感情」が理性に転じ、それが国際社会と共有される規範になることを暗に求めているようにさえとれ、ここから憲法前文の「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」という一節はそう遠くない。国際社会において国家の感情を外部で律する規範は、アダム・スミスの『道徳感情論』の後半で展開されることであり、機能しなかったとはいえ、そのような国際規範をつくろうとする機運は「戦前」にすでにあった。昭和天皇の「玉音放送」と戦後憲法の連続性はもう少し広いスパンをとると、実は見えてくると言える。

 それに対して、現行天皇の「お気持ち」が、戦後憲法の定める象徴天皇制の解釈であることは、今回の「お気持ち」の表明が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と宮内庁の公式HPに掲載されていることでも何より確認できる。それはぼくの忖度、つまり推察ではなく、事実としてそう題され、そしてこう発言が記されている。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。 

 自分の天皇としての在位の日々は象徴天皇制の模索と実践であった、と彼はまず言い切る。この点で現行天皇は戦後憲法の実践に真摯であった例外的なパブリックサーバントとしてあった、と言える。そして、そのような立ち位置から彼は自らの考える象徴天皇制を表明するのである。

 このような天皇自身による憲法解釈の表明は、現行憲法下では大きな逸脱であるはずだからこそ、「お気持ち」で繰り返される「政治」的発言にならないようにという危惧は、発言の結果、何らかの法の改定がなされることへの危惧より、天皇自らが憲法解釈をおこなうことに対してのエクスキューズであったと考えられる。

 それでは、「お気持ち」が、天皇による天皇条項の「解釈」である、ということを踏まえて、彼の発言をいま少し読み解いていく。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。 

 在任中、自分は「我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごし」「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添」ってきた、そしてほぼ「全国に及ぶ旅」をしてきた、とその自ら解釈した象徴天皇像に忠実であったと自負を語る。

 ここで示されているのは国民の「感情」を受け止め共感し続けた自己像であり、自身の高齢化や昭和天皇崩壊の際の混乱にさえ言及する。そして、その「思い」「気持ち」が「国民の理解を得られることを、切に願っています」と言い、一礼する

 その結果、天皇の「お気持ち」への「共感」が成立したのである。

 しかし、この「おことば」に宮内庁が公的に付した題名を含め、発言を理性的に読めば、現行天皇は自ら象徴天皇制を憲法解釈し、その上で、老いなどによって彼の考える象徴天皇が一時的に機能不全に陥ってしまうことを危惧していることは当然わかるはずだ。

 この「機能」というのは天皇自身が用いたことばである。「重病などによりその機能を果たしえなくなった場合」という言い方で、天皇そのものを「機能」として自ら定義していることはもう少し注意していい。いわば天皇自らが天皇機関説を公言した、とさえ言えるのだ。憲法に定められた象徴天皇というシステムの機能不全のリスクを回避したい、というのがこの「おことば」の論理構成であり、その点でも極めてこれは「政治的」な発言である。

 だからこそ、天皇はこの発言自体を個人的なものとまず釈明しなくてはいけない。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 ぼくがこのエッセイのなかで現行天皇を陛下とも記載せず、敬語も用いないのはぼくの天皇論の昔からのスタンスだが、今回に限っていえば「個人」として彼がおこなった政治的な発言やふるまいに対して、ニュートラルであろうとすれば、こういう書き方が選択されて当然だと考える。無論これは「詭弁」だが、メディアでは天皇に限らず、首相に言及するとき敬語を用いる言説がいまや少なくなく、そのことが政治に対してニュートラルな、そして批評的なことばを案外と困難にしている。

 話を戻せば、今回「個人」として彼が政治的な発言をし、しかし、それが「お気持ち」の形をとらざるをえなかったことで、その意図は「お気持ち」の部分でしか受け止められていないというディスコミュニケーションを生んだ。つまり老いたので激務を後進に譲りたい、という「感情」としてのみ受け止められ、象徴天皇制に対する「解釈」そのものはスルーされてしまった。しかも、それは天皇の政治的発言はいかなる形でも認めない、という「国民」の理性的な判断がなされた結果ではない。「象徴天皇制」についての問題提起としては受け止められず、彼の語る象徴天皇観を妥当とすべきか、あるいは右派の一部が望む「君主」として再定義すべきか、あるいはぼくが考えるような天皇制を廃止すべきかを含めた憲法の天皇条項を根本から見直すべき議論は起きない。

 しかし、天皇の発言が象徴天皇制を「共感」や「感情」の問題として定義したことの問題はもう少し考えてもいい。

 天皇自身が「おことば」内で二度、繰り返しているように、現行憲法は天皇の政治介入を禁じている。しかも戦後憲法はその一方で明治憲法のような「国家」そのもの、つまり「国体」としての天皇ではなく、「国民の統合」、つまり社会なりパブリックなものの「象徴」として天皇を定義した。「国家の統合」でなく「国民の統合」という差異は重要で、それは戦後教育にGHQが持ち込もうとした「社会」や「公共」との関わりで理解しなくてはいけない。いわば天皇を民主主義の装置としたのである。

 いま、ここでそのような西欧型の民主主義の是非について論じるつもりはない。ぼくは民主主義システムがいくら罵倒されようが、現状はそれ以外の選択肢は誰も示せていない以上それを維持するしかないと考える。民主主義を「嗤(わら)う」ことは誰にでもできるが、実行する努力には多くの人は怠惰だ。その列に加わる気はない。

 しかし、そのような民主主義の不徹底を含め、戦後の日本が「社会」なり「公共性」を自らつくり上げていくことに失敗した要因の一つは、象徴天皇制があらかじめパブリックなものの形成を「天皇」というシンボルに委ねる制度にある、ということはやはり指摘しておく。本来であれば、自ら合意を形成した理念の「象徴」として天皇を定義する責任が、戦後憲法下の「国民」には求められていた。

 他方、天皇は自ら「象徴」を「機能」と定義していたことが今回、明確になった。天皇が憲法の定めた「国民の統合」の「象徴」として「機能」しようとすれば、政治的言動を禁じられている以上、彼はただひたすら国民の「感情」に「共感」し続けることしかできない。政策に関与できない以上、選択肢はそれしかないのだ。このような天皇像に対して「国民」もまた自分たちの「感情」を汲みとることのみを「天皇」に求めた。それは自らの「合意」を天皇に表象せしめることに怠惰であったことと同義である。このように、現行天皇の真摯さと国民の怠惰の上に象徴天皇制は成立しているとさえ言える。

 天皇が非政治的にパブリックなものの形成に関与しようとすれば、感情への共感という手段をとらざるをえない。だから国民は結局、「感情」的にしか「統合」しえていない。そのことはいちいち立証せずとも、ちまたにあふれ返る「絆」や「キモチ」といった語のうんざりする氾濫にも、二〇〇〇年代に入ってからポピュリズムを煽動してきた右派の人々のなかからでさえ、「右」のポピュリズムに対する脅えが語られるようになったことにも見てとれるだろう。

 「感情」のみによる国民統合が抑止できなくなっているのだ。では、抑止するもの、即ちアダム・スミスの言う「感情」「共感」に対する中立的な観察者はどこに求められるのか。

 それは「憲法」である。少なくとも現行天皇はそう表明している。玉音放送では天皇が感情の抑止、つまり理性を求めたが、現行天皇は戦後憲法の象徴天皇像を彼のうちなる「自覚」と表現する。

 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らのうちに育てる必要を感じて来ました。

 つまり、自分の解釈した憲法の定める「象徴天皇」を彼の内的な倫理にすべく自分は生きてきた、と語るのだ。

 「お気持ち」が政治的発言である、とぼくは繰り返し述べてきたが、彼のこの発言は、もう一度確認するが、象徴天皇制への天皇自身の解釈である。彼は象徴天皇制を定めた現行の憲法を行動規範とし、そこから象徴天皇としての機能を導き出し、実行し、そして内在化し、倫理化している。一切の公的なものは憲法によって規定される以上、天皇は自らもその一機能として自己規定し、自らどうあるべきかを内在化してきた。この手続きは正しい。

 それに対し、現行憲法をただ感情的に否定するだけで、同様にただ感情的に守るべきと主張するだけで、憲法を行動規範化する手続きを怠ってきたのが戦後史であり、それを内在的な倫理や規範としていく現行天皇のような愚直さを彼以外の人々は大抵は試みなかった。現行の日本社会の多くの問題は憲法や民主主義の問題ではなく、それを実行できなかった問題であることは繰り返し述べてきたが、この国の現在はその怠惰がもたらした当然の結末であり、今後、誰がどう憲法を書き直そうと、この怠惰が繰り返される限り、憲法は「機能」しない。

 このように、国民は自分たちの「感情」が天皇に「共感」されることを求め、結果、「国民」は「感情」としてしか天皇の問題提起を受け止められなくなった。憲法を倫理や規範として生きようとした彼を「国民」が理解したとは言い難いのである。それは憲法解釈を「お気持ち」としてしか表出しえない象徴天皇の立場があり、そして、国民はただ「お気持ち」のみを受け止めた。

 その絶望的なディスコミュニケーションこそ「感情化した社会」がもたらしたものである。

“象徴天皇制の本質は「感情労働」である”


〈プロフィール〉

大塚英志

大塚英志(おおつかえいじ)1958年生まれ。まんが原作者、批評家。本書『感情化する社会』に関わるまんが原作としては、山口二矢、三島由紀夫、大江健三郎らをモチーフとした偽史的作品『クウデタア2』、本書に関連する批評として、『物語消費論』 『サブカルチャー文学論』『少女たちの「かわいい」天皇』 『キャラクター小説の作り方』 『更新期の文学』 『公民の民俗学』 などがある。

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