黒柳徹子の”タマネギヘア“はいつ、どうやって生まれた?

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82歳にしていまだにいくつものレギュラー番組を持つ黒柳徹子さんのトレードマークといえば、あの“タマネギヘア”。今やあのヘアスタイル以外の黒柳さんを見たことがある人は少ないかと思いますが、あの髪型はいつ、どのように生まれたのでしょうか? 

黒柳さんは38歳の時、アメリカのニューヨークに遅めの留学をしました。NYで本格的に演技を学ぶことを決意した黒柳さんは、実に多くのことを学ぶことになります。メリー・ターサイが主宰する演劇学校に入学すると、台詞はあくまで氷山の一角でしかないことを、徹底的に教え込まれました。

そんな留学生活の中で、学び以外にも得たものがありました。それは、のちに自身のトレードマークとなる髪型です。当時アメリカで活躍していたヘアメイクアーティストの草分け・須賀勇介氏と出会い、「和服にも洋服にも似合う髪型を」と考案されたものでした。NYでは外出時に振袖を着ることが多かった黒柳さんは、その個性的な髪型と着物姿というルックスのおかげで、滞在中は各所でかなり可愛がられ、掛け算式に人脈が増えていったそうです。

そんな生活を謳歌していた黒柳さんに、日本から新しい仕事の企画が舞い込みます。自分には向かないと一度は辞退するものの、「あなたのように1人でぷらぷらしている人の目で世の中を見て、そのままの感性で好きに話していほしい」という当時のプロデューサーの説得に魅力を感じ、帰国することに。その翌月から、日本初の女性司会者によるワイドショー『13時ショー』がスタートし、この番組がのちに『徹子の部屋』となるのです。 

◆ケトル VOL.31(2016年6月14日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。