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横山光輝 月100Pの『三国志』を絶対に休載しなかった理由



1971年末から1987年まで潮出版社の月刊漫画誌に連載され、日本中の子どもたちを釘付けにした『三国志』。その作者である横山光輝とは、いったいどんな人だった人だったのでしょうか?

「最初にお会いしたときも横山先生は和服で、とても風格がありました。『これがあの横山光輝か』と圧倒されたことを覚えています」

そう語るのは『三国志』の版元である潮出版社の岡谷信明さん。1971年、横山光輝は同社の『希望の友』に中国四大奇書のひとつとして知られる『水滸伝』を連載していました。岡谷さんが横山光輝に出会ったのは、その4年にわたる執筆が間もなくクライマックスを迎える時期。新人編集者だった岡谷さんは、その翌年から前任者の仕事を引き継ぐかたちで、新連載『三国志』を担当することになりました。

「まだ私は駆け出しの編集者ではありましたが、横山先生はとても接しやすい方でした。巨匠にありがちな原稿とりの大変さもなく、締切はいつもきっちり守られる。先生自身、『自分は典型的なO型だから、約束は守る』と。だから締切のサバ読みをして、早めに伝えておくなんてこともしていなかったんです。

しかも『三国志』は32P連載でスタートして、後に40P、50Pとページ数が増えていき、1980年に『コミックトム』が創刊されてからは100Pの大連載となりました。ほかにも多数の仕事を抱えながら、毎月100Pを描き下ろしていたんです。それでも16年間で1回も連載を落としたことはありませんでした」(岡谷さん)

現在でも珍しい100P連載を7年も続けた横山光輝。さぞ大変だったのではないかと思いますが、意外にも本人は「このほうがやりやすい」と語っていたそうです。

「横山先生のマンガはよく『読みやすい』と評されますが、それはストーリー展開が巧みだったからだと思います。普通のマンガ家は1回の連載の山場をいかに盛り上げるかを考え、お話のわかりやすさよりもクライマックスのインパクトを大切にします。

しかし先生は『山場“まで”の話が大事なんだ』と言い、伏線をいかに面白くするか考えていました。だから赤壁の戦いを描いても、メインは戦いに至るまでの駆け引きで、山場である赤壁が燃え上がるシーンは実にあっさりしています。そういう作風でしたから、100Pのボリュームがあったほうが、1回の伏線をしっかり張って読ませることができると考えられたのだと思いますね」(同)

実際、昔のインタビューで横山光輝は、「週刊連載だと毎回山場を作らないといけない」「100Pになってから僕流の描き方ができるようになった」と語っています。岡谷さんが、なぜ休載や減ページは一切しないのか尋ねた際には、

「月刊誌で1回休んだら読者は2か月待つことになる。そんなことはできない」

と、答えたのだそう。15年間の連載で1回だけあった休載は、『水滸伝』の外伝を描くためのものでした。

◆ケトル VOL.37(2017年6月14日発売)

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