夏フェス20年の変容 伝説を目撃する場から参加するだけでも楽しい場へ

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今や、若者の夏のイベントとして完全に定着した「夏フェス」。特に好きなバンドが出演しなくても、普段はそれほど熱心に音楽を聞かないタイプでも、「夏フェスには行きたい」という人は少なくありませんが、初期は「音楽好きが気合を入れて行く場」でした。

例えば1997年にフジロック・フェスティバルが初めて開催された際には、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやベック、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどがそろう豪華ラインナップながら、台風が直撃。翌年の開催も炎天下の影響で、ミッシェルガンエレファントのライブ中に脱水症状になる観客が続出してしまいました。

しかし、そうした過酷な体験にもかかわらず、観客はその場限りの“伝説”を目撃しようと、ステージに向かい、翌年もフェスに参加し続けたのです。つまり、この頃のフェスは「音楽好きにとって刺激的な体験ができる場」であり、参加するには“覚悟”が必要だと思われていました。

ところが、1999年スタートのライジング・サン・ロックフェスティバル、2000年スタートのロック・イン・ジャパン・フェスティバルやサマーソニックなどの大型フェスが増え、それぞれ動員数を伸ばしていくと、熱心な音楽ファン以外もフェスに参加するようになります。

そのため、各フェスは飲食エリアやイベントなど音楽以外の要素も充実させるようになり、音楽フェスを「伝説を目撃する場」から「参加するだけでも楽しい場」へと変えていきました。ロック・イン・ジャパン・フェスティバルが、2009年にロックのライブでは定番だったモッシュやダイブを「観客の安全を確保するため」として禁止したのは、その象徴といえるでしょう。

ゼロ年代の後半からテン年代になると、漫画『モテキ』とそのドラマ版で描かれたように、夏フェスはすっかり若者のためのレジャーとして定着していきます。女性ファッション誌では「夏フェスコーデ」といった特集が行われ、「フェスでの男女の出会い」を指南する記事まで掲載されるようになりました。まさに夏フェスが完全に一般化した証といえるでしょう。

このように振り返っていくと、日本の音楽業界におけるゼロ年代とは、夏フェスという文化が生まれ、進化し、ついに定着した時代ということができそうです。

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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