荻野目洋子 『ダンシング・ヒーロー』は「世代や性別を超えて存分に楽しめる曲」

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昨年の音楽シーンで大きな話題になったのが、荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)』の再ヒットだ。大阪府立登美丘高校のダンス部が、『ダンシング・ヒーロー』に合わせてダンスを踊る動画をYouTubeに投稿したことで、同曲は再び脚光を浴びたが、30年以上も前にヒットしたこの曲は、なぜ時代を超えることができたのか? 2018年8月21日発売の『クイック・ジャパン』vol.139で、荻野目はこう語っている。

「『ダンシング・ヒーロー』という楽曲は本当に不思議で、ヒットしてしばらく経ってからも取り上げていただいてます。たとえば、とんねるずさんの番組のコントで突然アドリブで踊ったり、夏の盆踊りで使われていたりして。誰かが意図したわけではなく、どちらも自然発生的なんですよね。

登美丘高校のダンス部も、振り付け担当のakaneコーチが忘年会の余興で披露したら盛り上がったのがきっかけらしいですし。ヒットやブームとか関係なしに、ライブで歌うと必ずみんなと盛り上がることができるので、世代や性別を超えて存分に楽しめる曲なんですよ」

登美ヶ丘高校ダンス部が投稿した動画には「バブリーダンス」というタイトルが付けられていたが、『ダンシング・ヒーロー』が発売されたのはバブル前夜の1985年。荻野目はまだ高校生だったが、この曲がリリースされた頃はどんな状況だったのか?

「『ダンシング・ヒーロー』まで6枚シングルを出していたのですが、なかなか『ザ・ベストテン』に入るようなヒットにならなくて。どうしたらいいのか試行錯誤していた中でこの曲に出会いました。そのころは、アイドル全盛期で、まわりを見渡せばかわいい人たちばかりでした。私はどちらかというとあまりパッとしないほうで、事務所からも『この子は自然児だから、あまり作り込むのはやめよう』と言われていて。

当時の自分の声はまだか細かったのに対し、原曲は非常に野太く、さらに大人の女性のエネルギッシュな歌い方をしていました。だから歌いこなせるのかな?という不安はありましたが、この曲でヒットしようという意欲で臨みました。レコーディングしたときは、初めてひとつの壁を越えられたような感覚になったんです。大サビのワーッと盛り上がる後半部分で、それまでにはなかった歌い方ができたと思います」

その後、数々のヒットを飛ばした後、しばし表舞台から消えた時期もあった彼女だが、活動を再開して練習し始めた時は、いざ歌い始めると、まったく止まらなくなってしまったのだそう。今ではライブでギターの弾き語りも披露しているそうで、音楽への熱い思いはまったく変わっていないようだ。

◆『クイック・ジャパン』vol.139(2018年8月21日発売/太田出版)

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『クイック・ジャパン』vol.139

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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