鈴木みのる 特別な一戦で着用する白いコスチュームの意味

スポンサーリンク

ヒール軍団「鈴木軍」を率いる鈴木みのるは昨年、地元・横浜の赤レンガ倉庫広場で、デビュー30周年を記念した『大海賊祭』と題した無料イベントを行いました。ライブ、トーク、ワークショップなど、盛りだくさんのイベントでしたが、その中で鈴木は、新日本プロレスのトップ選手であるオカダ・カズチカと対戦。降りしきる豪雨の中、20歳もの年齢差を超えて繰り広げられた闘いは、30分フルタイムドローという規格外のものになり、鈴木の心にも深く刻まれたようです。ケトルVOL.46で鈴木みのるはこのように語っています。

「土砂降りの雨が降ったことで、あれは一生に一度の舞台になったと思っているよ。友人の尾田栄一郎さん(マンガ『ワンピース』の作者)も、『鈴木さんは持っている。マンガでも対決シーンの最高演出は雨なんだ』と言ってくれて。しかも次の日は雲ひとつない快晴だった。まるでオレの人生を天気で表現したみたいな2日間だったな」

鈴木にとっても、オカダとの一戦は特別なものになるという予感があったのでしょうか。この日は普段の黒いショートタイツではなく、靴からタオルまで真っ白のコスチュームで登場しました。この白いコスチュームは、鈴木にとって「ここぞ」というときにだけ着用する特別なものです。

最初に着用したのは1989年11月29日。当時所属していた第2次UWFの東京ドーム大会で、キックボクシンのチャンピオンだったモーリス・スミスと人生初の異種格闘技戦を行ったときのこと。この試合はTKO負けという屈辱的な結果に終わり、白いコスチュームもプロレス雑誌から「死装束」と揶揄されました。それ以来、この汚名を返上するかのように、鈴木は白いコスチュームをあえて大事な一戦で着用してきたのです。

「あれが特別なものであることは間違いない。一度着たやつは二度と着ないからね。毎回、靴からタオルまで新調している。でも、あれを着ることに対する理屈はないんだ。一時期はあれこれ理屈をつけていたけど、今はピンと来た瞬間に着るようにしている」

引退を心に決めた一戦でも、この白いコスチュームを着ていました。新日本プロレスでデビューしながらも、UWFを経て、船木誠勝とともに総合格闘技団体「パンクラス」を旗揚げした数年後、ケガが続いて試合に出る回数が減り、「死に場所を求めるようになっていた」という時期。鈴木は2002年11月30日のパンクラス横浜大会での引退を決意していました。

白いコスチュームを着て向かい合った相手は、新日本時代の先輩である獣神サンダー・ライガー。総合の経験がほとんどなかったライガーを相手に鈴木は圧勝しましたが、このとき自身でも意外だった思いが芽生えたと言います。

「あの頃のオレは自分が信じる道を突き詰めて、最先端まで行ったように思っていた。だから、『このリングに上がれなくなったらオレは終わりだ』と思い詰めていた。でもライガーと全力で闘って、自分の格闘技人生を振り返ったとき、もっと大きな世界があることに気が付いたんだ。プロレスの理想を追い求めて総合格闘技に行き着いたけど、そもそもオレには知らない世界がたくさんあった。そこに触れてみたいと思ったんだよね」

そしてその後の活躍ぶりは説明不要の鈴木。“プロレス王”を名乗る男の快進撃はまだまだ続きそうです。

◆ケトルVOL.46(2018年12月15日発売)

【関連リンク】
ケトルVOL.46

【関連記事】
永田裕志が解説 猪木が提唱した「ストロングスタイル」の意味
「プロレス王」鈴木みのる その名に込められた高山善廣への思い
オカダ・カズチカ レアル・マドリードに自分の姿を重ねた瞬間
プロレス大賞MVPの棚橋弘至 「自分が愛おしくなった」意識改革

※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

関連商品
ケトルVOL.46
太田出版