時代をリードしたフリッパーズ・ギター 雑誌でも貫いた1つのスタイル

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平成前半を席巻したムーブメント「渋谷系」の中でも中心的な存在だったのが、小沢健二と小山田圭吾のフリッパーズ・ギター。3枚のアルバムを残して解散した“パーフリ”ですが、活動中は音楽だけでなく、雑誌への露出も頻繁にしていました。リリースに合わせてインタビューを受けるだけでなく、いくつかの雑誌で連載も持っていたのです。彼らが連載していたのは『I-D Japan』『GB』『宝島』『ポパイ』の4つでした。

まず、『ポパイ』の「ビバ・デス・ロウ」(途中で「ビバ・デス・セブン」に改題)。ほかのバンドマンの私服をいじったり、いたずら半分にダイヤルQ2へ電話をかけたりと、深夜ラジオのような2人。『宝島』での連載タイトルは「フリキュラマシーン」。大きな企画は「ともだち100人できるかな!?」。これは友達が少ないという2人のために、ヤンキーやちびっこと対談させるというもの。2人はヤンキーといっしょにシャコタンの前で腕を組んで写真を撮っています。

また、フリッパーズのラジオ番組「マーシャンズ・ゴー・ホーム」でかけた曲のプレイリストや、ネオ・アコースティックの歴史を振り返る「ネオアコ太平記」というコーナーも(ライター・編集者による執筆)。『GB』の「月刊小沢と小山田」では読者参加の企画を展開。2人の似顔絵やそっくりさんを募集し、コメントをつけて掲載していました。雑誌の投稿コーナーのノリです。

『I-D Japan』では「90’s のオキテ」。「TMネットワークにドラマに出る資格はない」「いろんな人に不幸な手紙を送ろう」など、ポパイと同じく過激な冗談も多め。しかし、わずか3回で中断してしまいました。

すべてに共通しているのは、どこか生意気で、固有名詞の多いシニカルな会話。そして、どの連載もフリッパーズの解散をもって、唐突に最終回を迎えています。正式に発表される前は「急に連絡が取れなくなった」と総集編だったり、ライブレポートだったりで持たせますが、解散が明らかになったあとは、本人たち不在の最終回が載せられました。「情報量過多」「シニカル」といった側面は、彼らの音楽性にも表れています。彼らの活動は、一つのスタイルによって貫かれていたのです。

◆ケトルVOL.48(2019年4月16日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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