「テレビ局員」への幻想とリアル 村上和彦『水道橋博士のメルマ旬報』6月15日配信号より

カルチャー
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テレビ各局の社長交代が週刊誌やネットで記事になっている。TBS「ニュース23」の女性キャスターが変われば、やれ低視聴率で失敗だと面白おかしくネタにされる。つまらない、オワコン、偏向報道etc.など色々言われながらも、結局ネットも活字も「テレビをネタに商売」しているのだ。商売になるということはそれだけの“ニーズ”があるから、でもある。

事実、私も東洋経済オンラインなどにテレビ関連の記事を書くのだが、その都度多くのアクセスをいただいている。なんだかんだ“テレビ”が気になって仕方が無いのだ。またテレビ関連の特集などで各種媒体から「コメント」や「レクチャー」を求められることがある。

取材を通して多くの編集担当・記者・ライターと話をする機会も多いのだが、印象として総じて皆さん「テレビ局」と「テレビ局員」に対してよく知らない、というか“幻想”を抱きすぎているような気がする。例えば、こんなやり取りになるのだ。

記者「新しい女性キャスターのギャラ、年間2億円とのことですが?」
私「そんなに出すわけがないでしょう。年間50週として、一週間400万、週5回放送だから一回80万円。経費削減で生中継ひとつ出すのにヒイヒイ言っているいまのニュース番組がそんなに払いますか?」
記者「ああ、そういう風に計算すると確かにそれは高いですね」

記者「プロデューサーって芸能人やモデルといつも食事したりしていますよね?」
私「番組関係のタレントさんと食事に行くことはあるけど、それも年に1、2回ですよ。局によってはよく行っている人もいますけど、全体では少数派だと思います」
記者「そうなんですかー、皆さん西麻布とかで連日豪遊しているイメージですが・・・」

ライター「やっぱりテレビの方は一週間寝ないで番組作ったりしているんですよね。」
私 「そんな超人いないです。編集所で2日続けて徹夜することはあるけど、そんなときだってソファで仮眠とっていますし」
ライター「そのくらいだと週刊誌も変わらないですね・・・」

飛びかうカネ、タレントとの豪遊、寝ずに仕事・・・、テレビ局をとりまく噂には事実とは異なることも多い。実際“昭和”の頃にはそういう話も数多くあっただろう。もっとも「一週間寝ない説」は当時の人が“盛って”話していたことが一人歩きしていただけだと思うが。

だが今は令和。現実のテレビ局は、経費削減とコンプライアンス管理に追われている、その一方で新たな収益源を探しているという「企業体」である。そこで働く「テレビ局員」も“サラリーマン”である。

企業でありサラリーマンであることは、昔からそうであって今に始まったことではない。ただ、かつてはカネが潤沢にあり、予算はたっぷり確保されて、経費も相当アバウトに使うことができた。番組予算が多少赤字になったところで大きな問題にはならなかった。芸能界との付き合いもかなり密接だったし、プロデューサーなどへの「裏金」なども当たり前のようにあったと聞く。

スタッフだけで豪遊して番組経費で払うことも、私が入社した80年代末頃までは珍しくはなかった。会社もそういう部分を厳しく取り締まることはなかったのだ。そして是非はともかく、そのようなイメージがテレビ局への“幻想”を作ってきたのも確かだろう。テレビ局サイドもそのイメージを敢えて否定することもせず、いわゆる“ギョーカイ幻想”を振りまき、テレビ局員もその幻想を享受してきたのだ。(その筆頭は80年代90年代のフジテレビだろう)

私に質問をしてくるライターさんたちは、いまだにその“幻想”に囚われているようなのだ。現実の「いまの」テレビ局は昭和から平成を経て“ギョーカイ幻想”的な部分はほとんど絶滅したといっていいだろう。

ヒット版番組を手掛ける優秀なクリエイターがいる一方、クリエイティビティはまるでないがコンプライアンス管理には長けたプロデューサーがいる。たまたま人事で番組制作現場に来たがディレクターに向いていない人間もいるし、領収証のミス捜しに血眼になるアシスタントプロデューサー、毎分視聴率の“後出しじゃんけん評論”しかできない管理職もいるのだ。さらに言えば「テレビにあまり興味のない局員」だって決して少数ではない。

予算管理も厳格になった。番組で少しでも赤字を出すとプロデューサーは厳しく叱責される。タレントとの飲食に使える接待費もほとんどなくなった。制作局長が自ら「近隣で、ひとり4000円飲み放題の宴会が出来る店リスト」を作って配布したりしているのだ。もちろんギャラの値下げ傾向も止まらない。深夜のタクシー帰宅も許されなくなり、番組の編集も終電前には一旦切り上げるよう指示をされているのだ。

私がいた日本テレビだけでなく、どこの局だってそうだろう。企業としては「当たり前の姿」になっただけ、とも言えるのだが。そして「人事」と「出世」に興味津々かつ汲々とする人間も多い点も、テレビ局以外の企業となんら変わりはないだろう。

一方でテレビ局には触れて欲しくない“別のリアル”も存在する。権力闘争、縁故人事、芸能界、政界、スポンサー…様々なところに“発火注意点”があるのも確かである。テレビ局の「ハザードマップ」のようなものだ。別に資料にまとめられてはいないのだが。これら発火注意点に、いかに火がつかないようにやっていくのか、「発火」した際にどう対応するのか。誰にも気付かれずに「発火しかけて」、しかし慌ててこっそり「鎮火」したケースもあるのだ。

そしてこの“発火点リアル”を伝えることは難しいのだ。テレビ局が舞台のドラマ・小説も数多く作られている。有名構成作家だった故・景山民夫氏による「トラブルバスター」シリーズなど、テレビ内を熟知した人物による「発火ネタ」を描いた傑作ももちろんある。

だが、“テレビ局員というサラリーマン”が自らの体験をベースに、際どい部分まで触れる作品は多くはない。数多くのヒット番組を生み出したクリエイターにしても「自分史」的なことは書いても「フィクション」を書くことはほとんどなかったのだ。

その理由としては、自分が関わった番組ならばある程度か踏み込んだことを書けても、テレビ局全体を舞台としたフィクションを書く場合、どうしても“危険ゾーン”に足を踏み入れざるをえないから、ということがあるだろう。その危険なゾーンまで踏み込まなければ、フィクションとしては面白くないものにしかならない。

“幻想”ではない発火点を含めた“リアル”を描けば、当然不快に思う人間もいるだろう。特にテレビ局のトップに近い人間、あるいはトップを目指している人間にとっては。もちろん関連する外部の人間も快くは思わないはずだ。そして構成作家として「客観的な立場」からモノが言えた・書けた景山民夫氏とは違って、テレビ局員として名を遂げたテレビマンは、そんな“蛮勇”は犯さないのだ。普通は。

ところが今回、私の先輩でもある吉川圭三氏が“力技”によってテレビ局の内幕に迫るという初の小説「泥の中を泳げ テレビマン佐藤玄一郎」を書き上げてしまった。吉川さんは日本テレビで私の6年先輩にあたり、「世界まる見え!テレビ特捜部」「特命リサーチ200X」「恋のから騒ぎ」などを手掛けたヒットメイカーである。現在はニコ動からKADOKAWAへと活躍の舞台を移しているが「クールな知性と秘めた熱さでバサッと斬る」凄みを持った人物でもある。

主人公である若手テレビ局員が、多くの苦難を乗り越え成長していくという物語なのだが、そこに海外での冒険活劇、さらに国際的な陰謀(?)など多くのエンターテインメント要素も加えてあり、さすがは視聴率男として“ツボ”を心得ているストーリーテリングである。先輩を捕まえて「さすがは」というのもおこがましくはあるのだが。
 
だが私が「まいった」のはいわば“幻想”部分で形作られる冒険活劇の面白さではない。小説内で、テレビ局の“リアル”をこれでもかと写し出しているのだ。登場人物のモデル詮索は野暮だと分かっていても、おのずと「あ、この人物は実在の〇〇氏だな」「ここは△△氏と□□氏が合わさっているな」と読めてしまうのだ。

局の上層部に寵愛されてやりたい放題の女性プロデューサー、株式相場と金勘定しか興味の無い経営幹部。番組制作経験は一切ないにも関わらず「データ」だけで上から目線発言をする編成部員…さらに局に出入りしプロデューサー勢に硬軟おりまぜ食い込むダークな人物、そして女性キャスターを巻き込む芸能界の闇といった「発火点」の数々・・・。

このあたりは具体的な「顔」まで浮かんできて、私は「吉川さん、飛ばしすぎじゃね?」と思うほどである。そう、まさに“リアル”なのだ。“リアル”を上手に“幻想”に織り交ぜて書かれた小説である。どこまでが幻想で、どこからがリアルなのか、探りながら読むのも一興だろう。
 
そしてこの物語の“本当の主役”は、おそらく吉川さんが自らの「テレビ局愛」を託したであろう“超敏腕社長”と、日本の表と裏、世界にまで人脈を誇る“伝説のテレビマン”である。(社長のモデルはすぐに分かるだろう。伝説のテレビマンも有名な方だが、私はご当人とお会いしたことはない)

テレビ局のはびこる悪弊を根こそぎ絶ちきる敏腕社長と、主人公に自身の行動で“凄み”を教える伝説のテレビマンに、著者である吉川さんの「思い」が詰っているように思うのだ。そしてこの小説は、今はテレビ局から距離を置く立場である吉川圭三さんの、テレビへの「ラストメッセージ」でもあるのだろう。
 
この「テレビマン佐藤玄一郎」が契機となり「あ、この手があったか」と小説に取りかかるテレビマンもいることだろう。私はそうなることも期待している。ヒットメイカーだけではない、様々の立場の「テレビ局員」が“フィクション”の形で書き残すことで、よりテレビ局の“リアル”は伝わっていくのだ。リアルを伝えてどうするのか、というギモンはもちろんあるのだが(笑)

追記として、景山民夫氏の「トラブルバスター」「ガラスの遊園地」を併読すると、本作との“時代性”の違いとともに、変わらないテレビ局の空気感を一層感じ取れるであろうことを添えておきたい。

◆村上和彦
(株)プラチナクリエイツ代表TVプロデューサー/演出家 1965年生まれ。神奈川県小田原市出身。1988年に日本テレビ入社。スポーツ局でジャイアンツ担当、全日本プロレス中継、箱根駅伝、バルセロナ五輪などを担当 社会情報局に異動後「ザ・サンデー」「情報ツウ」「スッキリ!」「24時間テレビ」などと並行して「三行広告探偵社」「ブラックワイドショー」「中井正広のブラックバラエティ」などを担当 2011年に制作局に異動「ヒルナンデス!」を立ち上げ3年で「笑っていいとも!」を終了に追い込む。2014年独立。テレビ東京「モーニングチャージ」フジテレビ「めざましどようび」などを担当。

◆『水道橋博士のメルマ旬報』6月15日配信号より

【関連リンク】
水道橋博士のメルマ旬報
泥の中を泳げ。テレビマン佐藤玄一郎-駒草出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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