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短編小説『私が渋谷系じゃなくても』(4468字)(樋口毅宏)全文掲載

『ケトル VOL.48』(渋谷系特集号 太田出版)
『ケトル VOL.48』(渋谷系特集号 太田出版)


平成を代表するユースカルチャー「渋谷系」を特集した雑誌『ケトルVOL.48』で、『さらば雑司ヶ谷』『タモリ論』などの著書で知られる樋口毅宏氏が書き下ろし小説を発表しました。今回は特別に同作を完全公開。『私が渋谷系じゃなくても』をお届けします。

 * * *
この手紙が届く頃には、私はもうこの世にいないでしょう。

愛するあなた、そして真貴。あなたの昇進と真貴の誕生日を兼ねた御祝いの席に、私は行けません。他に行くところがあるからです。ごめんなさい。

愛するあなたに、ずっと秘密にしていたことがあります。

私、渋谷系だったんです。

もともとはパンク大好き少女でした。田舎のライブハウスで、モヒカン頭のボーカルがスリーコードのギターとがなり立てる一本調子の8ビートにポゴダンスを決めていました。

それが一変したのは、テレビであるミュージシャンを目撃してからです。

ボーダーのシャツにベレー帽を被った若者がおしゃれな音楽を奏でていました。

フリッパーズ・ギターでした。小山田圭吾と小沢健二という、いいとこのお坊ちゃまふたり組が、既存のロックに対し、「いつまでダサいことやってんだバーカ」とばかり、マシンガンをぶっ放していました。衝撃でした。「誰この人たち? こんなカッコいい音楽を日本人がやってる……!」と感動のあまり、失禁していました。

私は鋲ジャンを脱ぎ捨て、鼻ピアスを外し、上京する決意を固めました。

─東京で大きな変化が起ころうとしている。目の前でこれを体感しないと一生後悔する。
生まれ育った街を離れる日、同じグルーピーの子から「生涯パンクスを辞めたユダ!」と罵られました。私は「punk is attitude. not style」と、クラッシュのジョー・ストラマーの名言を残して故郷を去りました。

その後、グルーピーの子は、アルコールとドラッグまみれになり、男に刺されて星になったと風の噂で聞きました。お定まりのパンクスの最期でした。

生まれ変わった私は代田橋にアパートを借りると、ライブハウスとレコ屋を一日にいくつもハシゴしたり、標準で録画した「ウゴウゴルーガ」を繰り返し観たり、『Barfout 』と『QUICK JAPAN』のライター募集に履歴書を送ってたりして、東京ライフを満喫しました。
あなたと出会う前に、好きなだけ恋の夢を見て、勝手にキスして泣きました。前カレのことで悩んでいたところにその男は現れました。

「心変わりの相手は僕に決めなよ」

そんな口説き文句に、まんまとだまされました。仮に、カジとします。当時ブリッジのメンバーだったカジヒデキにちょっと似ていたのです。髪型が。

「フリッパーズ・ギターはどうして解散したのか」

「スピッツはいつになったら売れるのか」

「ブランキーのメンバーは殺し合いをしないか」

などと、どうでもいいようなドーナツトークが異常に楽しかったのです。

私がバイトに勤しんでいる間も、カジは日がな下北のレコ屋と古着屋とクラブを回り、真夜中にレコードを廻し、「太陽は僕の敵」とばかり、朝寝て夜起きる生活を続けました。カジはプー太郎でした。

その頃です。私の好きな音楽が「渋谷系」と呼ばれるようになったのは。そのせいでしょうか、私の黒歴史はすべて渋谷系をBGMに彩られています。”いくら音楽の趣味が合おうと人生を共にしてはいけない”。カジとのことは、いい教訓になりました。

そして、あなたに秘密にしていたことが、もうひとつあります。

御承知の通り、私たちは夫婦生活のとき、明かりをつけたことがありません。

「恥ずかしいから」と、あなたに言い続けてきましたが、実は酔っ払ってカジと大喧嘩になり、「おまえのフリッパーズへの愛とやらを見せてみろ」と言われた勢い、

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と、左胸に彫ったタトゥーがあるからです。ちなみにこのときの脳内BGMは「ビッグ・バッド・ビンゴ」でした。

長らくひた隠しにしてきてごめんなさい。許さないで下さい。女である前に、パンクスである私を。

その反動もあったのでしょうか、スーツ姿の人と付き合うのは、あなたが初めてでした。

あなたはとても優しかった。穏やかで、仕事に真面目で、空手の有段者で、頼り甲斐があって、笑いのツボも同じ。いっぱい色んな話をした。だけど音楽の話だけは控えてきた。

─私がどれだけ渋谷系を好きか。

いつ打ち明けようかと思っていた矢先、とんでもないことが起こりました。覚えていますか、東高円寺で飲んだとき、あなたは大きな音で音楽が鳴る店など好きじゃなかったのに、試すような気持ちでつい連れて行った。そしたら隣のカウンターで口論になったパンクスとメタル系に巻き込まれてしまった。「おめーはどっち派だ」と絡んできたパンクスの両目をあなたは正拳で叩き潰し、メタルの喉を手刀で切り裂きました。挙げ句、折って畳んで裏返し、妙正寺川まで骸をふたつ引き摺ったのです。

川に投げ込む際、あなたはぽつりと呟きました。

「オレはBOØWY 以外認めない」

そうです。あなたは元ヤンでないにもかかわらず、「BOØWY 命」の人でした(しかも常松派)。

ああ、私が好きになるような男はやっぱり狂気を孕んでいるなと感じ入りました。

結婚後もあなたは自分の趣味を押し付けるようなことはなかった。真貴が生まれると育児休暇を取り、積極的にカジ家事を手伝ってくれました。悪阻も産後の肥立ちも辛かった身として、いまなお感謝しています。

私は幸せでした。真貴を育てながら、あなたが家にいないときだけ、渋谷系を家で流していました。

たまにネットで「渋谷系」について検索すると、全否定の書き込みを多数見かけました。

“本当にセンスがある奴は渋谷系なんて聴いてなかったウエメセ”

“手軽なおしゃれと小さな幸福”

“やっぱ生き様とか気合いが足りねえよ”

“クラブ、アシッドジャズ、小洒落たサントラ系。したり顔で、「これよくない? よくないこれ?」草”

は? 殺すよ?

音楽をノベルティー・グッズと勘違いしているのはてめえらの方だろ。

渋谷系が何を指すか、人によって違うだろうけど(フリッパーズ・ギターが始祖だと私は思っていますが)、当時そう呼ばれた一連の音楽のクオリティを嘲笑することがよくできるな。

センスいいね! と言われたいために、所謂「メジャー」ではない音楽を好んで聴く奴死ね。音楽は他者と違うことをアピールする道具(アリバイ)じゃねえ。

しかしなぜだ、なぜなのだ。本来私たちを自由にしてくれるはずの音楽でさえ、格と差別が生じるのか。「人生でもっとも影響を受けたアーティストはルー・リード」とか言えば一目置かれるのか?「七十四年以降のストーンズは認めない」とほざけば、「こいつわかってる」みたいに見られるのか?

これでは故郷のパンクスと一緒。東京に来ても、偏見は変わらない。

渋谷系は私たち世代の懐メロなのか。そんなこたなあい。かせきさいだぁとカジくんが松本隆と大瀧詠一を、「黒の舟唄」を暴力温泉芸者が教えてくれた。例を挙げたらきりがない。

渋谷系は音楽の幅の広さと深さ、歴史が引き継がれていることを証明した。

ともかく。私が渋谷系じゃなくても、私は青春の一時期を共にした音楽を、今も愛してる。それだけだ。

あるときのことです。台所でラブタンバリンズを自分だけに聞こえるように鼻歌で歌っていたら、月日が経つのは早いもので、中学生になった真貴がスマホから音楽を流しながら私のところに来ました。小山田圭吾の歌声が聞こえるではないですか!

「My Language Exchange でやりとりしているスウェーデンの友だちが、Cornelius カッコいいねって」

洗い物をする手が止まり、自分でも体がビクンと脈打つのがわかりました。

「その子が日本に来たら、Cornelius のむかしのアルバムや、前にやってたバンドのアルバムを、中古レコード屋でdig しようねって約束したの」

死ぬかと思いました。

ソファに座っていたあなたは娘に対しては寛容なようで、「なかなかいい音じゃないか」と微笑んでいました。

ああ真貴、あなたがCornelius を好きなのは、あなたが五歳ぐらいまで、私と家でふたりきりのとき、情操教育の一環と思い、クローゼットからターンテーブルを二台引っ張り出し、「STAR FRUITS」と「SURF RIDER」のレコードを同時にプレイして聴かせてきたからなのです。

真貴はその後、私のクローゼットを漁り、「ママ何これ」とCornelius の(C)マークのTシャツや、『FANTASMA』のCDを見つけてきては、「イヤホンが付いてる! ひょっとしてこれ初回盤っていう、ママの時代で言う“レアもの”?」と訊ねてきました。目を合わそうとしない私に、真貴は追い打ちをかけます。

「ママって、渋谷系だったの?」

もう誤魔化せない。どうしよう。そう考えていたところに、あるフェスが発表されました。

“渋谷系総決起集会〜マイ・ブーム・イズ・アス!〜”

ハコは代々木第一。ラインナップはCornelius、ピチカート、オリラブ、TOKYO No.1 SOUL SET、EL-MALO、Trattoria レーベルからVenus Peter、ブリッジ再結成、カヒミ・カリイ、Corduroy などなど。当時「渋谷系」で括られることに反発していた人たちも参加します。
見なかったふりをしよう。サイトをそっと閉じようとしたところに、double knockout corporation の文字が目に飛び込んできて、久し振りに失禁しました。

ああああ、ああああああああああ。

詳しくないあなたに説明しますと、double knockout 〜というのは、小山田圭吾(イニシャルがK ・O)と小沢健二(K ・O)がフリッパーズ・ギターを組んでいたときの作詞作曲クレジットです。そう、つまり渋谷系復活フェスで名前こそ違えど、フリッパーズが再結成するというのです。

思えば私が上京した年、『ヘッド博士』をリリース直後、やっとナマで観られると思っていたライブツアーをすべてキャンセルし、突然の謎の解散から二十八年、公の場で小山田と小沢が並んだことはなかった。The Smithsを上回る、「絶対にありえない再結成、心のベストテン第一位」が今生で起こるというのです。バンドの再結成の九九・九パーセントは金のためですが、ふたりが生活に困っているとは思えません。どういう気まぐれなのでしょうか。ふたつに分かれたストーリーは新しい道を切り開いてきた。なのになぜ?

私は、認めない。再結成などしたら、あんたたちが言ってきたことと、やっていることが違いすぎるじゃないか。これまでの音楽人生の全否定に等しい。ブルーハーツをオリメンで再結成するような、あるいはホログラムを使ってプリンスのライブをやるようなものです。それは許せないことだ。冒瀆だ。シドはとっくに死んだのに金のために再結成したピストルズはブザマな中年腹バンドに堕落した。なぜパンクスはそれを許したのか。誰も殺してあげなかったのか。手を汚すことを恐れたのか。

「過去の遺物」だったビートルズは、一九八〇年十二月八日を境にして、「二十世紀最高の文化」に格上げされた。

九十四年四月、シアトルの繊細すぎる青年は自らの頭をショットガンでぶっ放すことで、グランジは永遠になった。

殺してもらえないような音楽は音楽じゃない。やはり、マシンガンを撃ち抜かなければならない。それでようやく、渋谷系の評価が決まる。

あなたたちに迷惑をかけるわけにはいきません。離婚届はテーブルに置いておきます。
最後に真貴へ。パパには「尊敬する先生の名前」と言い続けてきましたが、あなたの名前は野宮真貴さんから付けました。

ふたりともありがとう。私は幸せでした。さようなら。

ああ、この屈折と初期衝動。左胸のタトゥーが疼く。

東京は夜の七時。今夜、渋谷系は終わる。そして始まる。

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◆プロフィール/樋口毅宏
最近聴いているのは、『EAST ATLANTA LOVE LETTER』6LACK、『BALLADS 1』Joji、『ヘブン』曽我部恵一

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