『われらホビーズ ファミコンゼミナール』作者が手にした“100万点ボーナス”

カルチャー
スポンサーリンク

1980年代から90年代にかけて、ファミコンをテーマにしたマンガ「ファミ漫」が一大ブームとなったが、ファミ漫史上最長の連載記録を持つのが、『月刊少年ジャンプ』(集英社)に掲載された『われらホビーズ ファミコンゼミナール』だ。同作は1986年4月号から1990年11月号まで、約5年にわたって連載されたが、作品はどのように作られていたのか? 作者のあおきけいは、2019年9月25日発売の『CONTINUE Vol.61』で、こう語っている。

「ネタになりそうなゲームをピックアップして、ギャグを考えるといった感じでした。別に、このソフトを使ってくれという注文はありませんでしたね。初期はソフトが手に入らなくて大変だったことはありますが。純粋にギャグマンガとして描いていたので、ファミコンを知らない人でも楽しめるように心掛けていました。……でも、いま見返すとショートギャグ時代は元ネタを知らないとキツいのがありますね(笑)」

担当編集者が「こんなに人気が取れるとは思わなかった」と言ったという同作。しかしあるキャラクターの登場で、一気に人気が爆発する。

「初期の3人(タカ、マコ、シゲ坊)は、そんなに考えて作ったキャラではないんですよ。ホビーズっていうのは要するに、ひとつのホビーを説明しつつギャグをやるという作品なので、そんなに続くとは思っていなかったんです。だからキャラとして魅力を出すというものではなかったんです。

でも、この3人が地味だったからこそゴージが出てきたときのインパクトがすごかったと思うんですよね。ゴージの登場以降、『FCゼミ』はキャラクターマンガになっていきますからね。強いキャラクターが出てきたら、タカちゃんのようなキャラに存在感がなくなっていくっていうのは必然なんです」

尊大なのにおマヌケな「ゴージ」の登場により、一気に人気が爆発し、長期連載になったのだとか。これによりあおきは大きな決断をすることになる。あおきは当時公務員だったが、漫画家になることを決意したのだ。

「実は、それまでの自分は少し冷めた気持ちがあったんです。いくらウケているといっても『ファミコンブームだから』といった。あと、長崎時代に一度、『月ジャン』編集部に行ったことがあったんですが、そこで当時、副編集長だった谷口(忠男)さんから『君は公務員をやっていたほうがいいよ。東京に出てくるような勇気はないだろ?』と言われたことがありまして。でも谷口さんは、こうもおっしゃっていたんです。『もし、こっちに出てきたら100万円振り込んでやるよ』って。で、実際に上京したら……100万円が振り込まれていましたね」

まさに“100万点ボーナス”を手に入れたあおきは、その後も『ボンボン』などの児童漫画誌で活躍。現在はマンガ家をリタイアしているが、当時の『FCゼミ』は電子書籍で読むことが可能だ。ギャグマンガはついつい軽く見られがちだが、時代の貴重な資料として再評価されてしかるべきだろう。

◆『CONTINUE Vol.61』(2019年9月25日発売)

【関連リンク】
CONTINUE Vol.61

【関連記事】
ファミコンブーム時の「ゲーム攻略漫画」 珍事件だらけの制作秘話
『ファミコン風雲児』作者が唱える「児童漫画40歳過ぎ定年説」とは?
『ファミコンロッキー』作者 「一番反響があったウソ技はバンゲリングベイ」
『ボンボン』を支えたほしの竜一氏 「子供に喜んでもらうことが僕の喜びなんです」

※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

関連商品
CONTINUE Vol.61
太田出版