うたた寝は生活を狂わす
第9回

分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ

暮らし
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なんてことないことがなくなったら、なんてことあることしかなくて大変だ。これは、『ケトル』の副編集長である花井優太が、生活の中で出会ったことをざっくばらんに、いや、ばらっばらに綴り散らかす雑記連載です。第9回。

※初出:雑誌『ケトル』編集部note公式(5月1日)

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自分のなかにある、出来るだけ古い記憶を引っ張り出してみる。思い出されるのは二つ。一つは家の階段を転がり落ちたこと。もう一つは、幼稚園の年少クラスでダンスの時間に友達の手を握ったら痛いと言われたこと。前者は単なる不注意だが、後者は複雑だ。母親が第三者から自分と違う名前で呼ばれていることがわかり、母親と自分が同一人物ではないことを理解するように、友達と自分の間に明確な隔たりを感じた。今となっては当たり前だが、自分の感覚が相手と同じでないことを知った最初の体験だったと思う。

そんなに強く握ってない。確かそう言った。でも友達の泣く声で見事にその言葉はかき消されたし、先生にも怒られた。30年近く前の話なのに、やるせない気持ちになる。なぜこんなことが起きているのか、三つ四つの子供にはわかるわけもない。自分が想うように、相手も自分を想っているかはわからない。自分が大事なものが、まったくもって大事でない、それどころか嫌悪感を覚える人だっている。成長するにつれ、多くのことを学ぶ。そしておそらく、列挙したこうした問題とは一生付き合わなければならない。

2月の終わりだろうか、友人から連絡が来た。自分のバンドが主題歌を担当した映画が今度公開されるから、試写会に招待きてくれないか? と。おやすい御用。お誘いありがとうございます。送られてきた試写状には、『アボカドの固さ』と書いてある。鰐梨、伊丹十三風に書くならアヴォカード。食べどきがイマイチ掴めない、野菜とも果物ともつかない不思議な食べ物。調べてみると果物らしいが、それはここで重要ではない。この原稿は『アボカドの固さ』という映画について筆を進めているのである。

主人公の前原は、ある日5年間付き合った緑にフラれる。男女の別れで始まる物語は数多あるが、前原が緑に「一番したいこと」を聞いた返答が「じゃあ別れたい」であるという幕開けは、経緯をぶっ飛ばした結果の重みをひたすら叩きつける。前原は当然状況を飲み込めないでいるし、スクリーンの前にいる観客も衝撃を受ける。前原を演じたのは、平田オリザ主宰の青年団に所属する俳優、前原瑞樹。どうやら、前原自身の体験をもとにした作品らしい。

フラれた後も、前原は緑のことが好きで仕方なく復縁を願う。しかし、事態は思ったようにはいかない。親しい後輩に相談しようと、他の女性を口説こうと、やっと会えた緑に思いを伝えようと、好転しない。もう過ぎたことなのだ。前原自身も実は緑が戻ってこないことをわかっているのかもしれないが、信じたい未来を信じているのか、それとも無自覚なのか。明確にわかるのは、前原は前原のなかにある緑を見ているということ。そして、前原のなかにある緑と実際の緑には、恐ろしいほどの距離がある。滑稽な頑迷さには、笑いではなく蟻走感が込み上げてくる。この惨めな前原が、多かれ少なかれ自分の中に存在したときがあったのではないか? もしかすると、今もいるのではないか? でなければ、この居心地の悪さは説明がつかない。

あるとき、どうにかして緑と話したい前原は、彼女の家にまで足を運ぶ。残念ながら、ドアを開いて出迎えたのは母。緑は留守だった。母は彼らが別れたことを知らなかった。招かれるがまま緑のいない家に上り込むが、言葉は当然出てこない。そして前原のグリーンをベースとしたキマっていない服装が、彼に染み付いた緑との時間を虚しく思わせる。せっかく来てくれたお土産にと緑の母が前原に持たせるカモミールティーの葉は、一度サイズの合わない袋に入れられそうになったが、最終的にはサイズの合ったグリーンの紙袋に入れられた。母は二人をどのように見ていたのだろう。

「怖い怖い怖い!」

前原の暴走っぷりに緑はそう言ったが、ブレーキを踏むことを知らない奇行は確かに恐ろしい。そして、一分の悪意もなく純粋に突き進んでいるからこそ止めようがない。それが間違っているのか、それともあるべき姿なのかももはや分からない。人と人が丁度いいあり方を見つけるのは、ここまで難しいのか。いや、目に映していた相手以外の存在が目の前に現れたとき、それを受け入れるのはこうも難しいのか。

小沢健二の言葉を借りるなら、分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ。それしかない。全ての言葉はさよなら。

この迷走の物語を、フラットに描き切った城真也監督はまだ20代。アンファンテリブル。感傷的な描き方ではなく、ただ起きていることを綴っていく。そこには、前原への共感を押し付けるようなことは一切ない。観客はスクリーンを通して、一人の男の執着を目撃し続けるのだ。

本来であれば、4月11日からユーロスペースでの上映を皮切りに全国で順次公開される予定だった。しかし、新型コロナウィルスの影響で延期になっている。そのため、これ以上仔細に中身について触れることはできないが、エンドロールとともに流れるTaiko Super Kicksの主題歌が素晴らしかったことを書き加えておきたい。

◼️NOTES
1●アボカドの固さ
ある日突然、5年付き合った恋人・清水緑に別れを告げられた俳優・前原瑞樹。どうにかヨリを戻したい一心で、周囲に失恋相談をして回り、ひとまずは1ヶ月後に迎える25歳の誕生日まで待つと決める。 しかし、待てど暮らせど清水からはなんの音沙汰もない…。復縁への淡い期待を抱きながら右往左往する男の<愛と執着の30日間>

2●平田オリザ
1962年生まれ。劇作家、演出家。こまばアゴラ劇場支配人、劇団「青年団」主宰。2020年春から、青年団の創作拠点を東京から兵庫県豊岡市へと移し、地方からの発信に注力。代表作に戯曲『東京ノート』、小説『幕が上がる』など。『幕が上がる』は、2015年に本広克行監督により映画化。

3●前原瑞樹
1992年生まれ。俳優。劇団「青年団」所属。主な出演作に映画『友だちのパパが好き』『世界でいちばん長い写真』『ウィーアーリトルゾンビーズ』など。今年公開予定の今泉力哉監督映画「街の上で」にも出演。

4●全ての言葉はさよなら
フリッパーズギターの1990年アルバム『カメラトーク』収録楽曲。洋題は「camera full of kisses」。

5●城真也
1993年7月1日生まれ。主な過去作品に第39回ぴあフィルムフェスティバルに入選した中編『さようなら、ごくろうさん』がある。2019年、初長編『アボカドの固さ』がTAMA NEW WAVE ある視点部門入選、第41回ぴあフィルムフェスティバルひかりTV賞。『アボカドの固さ』公開延期を受け、『さようなら、ごくろうさん』がVimeoで無料公開された。https://vimeo.com/213504997

6●ユーロスペース
渋谷区にあるミニシアター。東京都渋谷区円山町1−5。
7●Taiko Super Kicks
2014年から活動中の4人組バンド。2018年11月、7インチシングル『感性の網目 / bones』をリリース。ベースの大堀くんと出会ったのはもう10年以上前。本当にいいベースを弾くなあ。

■筆者プロフィール
花井優太(はない・ゆうた)
プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。Twitter : @yutahanai

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

筆者について

花井優太

はない・ゆうた。プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。昨年一番聴いたアルバムはSnail Mail『LUSH』。タイトルが載った写真は関口佳代さんに撮っていただいたものです

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