うたた寝は生活を狂わす
第10回

ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア

暮らし
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なんてことないことがなくなったら、なんてことあることしかなくて大変だ。これは、『ケトル』の副編集長である花井優太が、生活の中で出会ったことをざっくばらんに、いや、ばらっばらに綴り散らかす雑記連載です。第10回。


※初出:雑誌『ケトル』編集部note公式(5月14日)

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相も変わらず、ほとんどの時間を家の中で過ごしているし、仕事は幅80センチ奥行き45センチのデスクの上で完結していく。打ち合わせも取材もオンライン会議サービスで行われ、毎日パソコンの画面に映る誰かしらと話をする。初対面であっても名刺交換はなく、雑談も減った。あらかじめ決められた議題に沿って、四角い枠にチェックを入れていくように時間を進めるのがリモート会議のコツであることも浸透したようで、黎明期のぎこちなさもどこかへ。淡々と、粛々と、部屋の壁際にある机が僕の仕事場であり、いまもそこで原稿を書いている。

去年、書斎という存在に憧れた僕は、せめて机だけでもとこぢんまりとしたものをセレクトし、高さのあったソフトレザーのダイニングチェアと合わせて購入した。自分が自分のために創作する場所が欲しかったのだ。自分で作った曲に、いいねえこれ才能あるね、作ったの誰? なんつて。結局、そんな欲求とは真逆に時は過ぎてほとんど使わずに1年が過ぎようとしていたが、このたびの緊急事態宣言。仕事場として活躍するにいたっている。

もしこの机がなかったら、祖父母から譲り受けた古いちゃぶ台で仕事をしていたのだろうか。読み始めた資料は置きっ放しにしたいし、パソコンも定位置にあってほしい。座れば即座に仕事開始が理想。ちゃぶ台だったら、食事のたびに片付けなくてはならない。いや、自分の性格を考えると、片付けもしなさそうだ。ふとした拍子でハイボールをパソコンと本にこぼす。合掌。

しかしながら、奇妙だ。僕はある種の閉じた環境を求めて机を購入したはずなのに、家の中で今もっとも外部とつながっている場所となっている。普段の仕事とは違った、曲を作ったり、文章を書いたり、本を読んだりするための根城、世界からの隠棲こそ求めたものだったのに。それが今では仕事に奔走し、動的な場所に置き換わっている。むしろ、購入してからほとんど使っていなかったのだから、こちらがあるべき姿なのか。

でも、停滞していた空間に風が通り始めたのは事実で、曲を作ったりする時間も増えた。上手に使われていなかったIKEA 製のキャスター付きスチールワゴンには、YAMAHAのTHR10II、TASCAMのDP-008EX、ALESISのSR16を格納しており、いつでもシールドを突き刺して遊べる。基本はバウンスせずに純粋に8トラック使用と決め、ビートルズ、GALAXY 500、ジョナサン・リッチマンになったような気分で適当にツマミをいじりながら構築していく過程は、『ワン・マン・ドッグ』にかつて憧れた自分の続きを進めているようだ。ほんと、簡素ではあるんだけど。

60年代の多くの名盤は4トラックないし8トラックでテープを回していたわけだし、マイクや場所の環境に差はあれど、ある程度のものは録ることができるはずだが、そうはうまくいかない。ただ、ちょっとチープになったりするのがいまは楽しい。そもそも、学生時代のときと比べて楽器の技術は大きく落ちているから、高い理想なんて持てはしない。分相応の娯楽。幸運にも、たまにしか弾かれることなく歳だけをとってしまったギターは、思ったよりも拗ねていない。むしろ、経年によって良い味を出して来ている。

二十歳の誕生日に秋葉原のイケベ楽器へ向かい、ローンを組んで買ったmomoseのテレキャスターともずいぶん長い付き合いになった。何本も試奏し、一番状態の良いものを買ったはずだ。なぜテレキャスターにしたのかを思い返すと、おそらくそれは当時シド・バレットのソロにハマっていたからだし、トム・ヨークもジョニー・グリーンウッドも同タイプのギターを使っていたから。そして何より、ゲット・バック・セッションの時のジョージ・ハリスンもテレキャスターを使っている。彼が使っていたのはオール・ローズウッドのモデルなわけだけど、とにかくテレキャスターのフォルムが欲しかった。ローも素直に出る音の太さも、繊細でツヤのあるハイトーンもよろしい。

ビートルズのエンジニアだったジェフ・エメリックが書いた『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』を読んでは、ページに該当するアルバムを聴き直し音のニュアンスをいかに似せられるかにつとめたこともあった。だから多分、僕のチョーキングとピッキングは教則本で頭をぶっ叩かれても文句の言えない変なクセがあると思うし、何にでも対応できるタイプの弾き手ではない。しかし、ビートリッシュか否かはそれなりに心得ているつもりだ。0.13から0.48インチの太めのゲージを張られた木の板が震える。ジョンっぽいか、ポールっぽいか、ジョージっぽいか。30歳も過ぎたことですし、そろそろビートルズ御用達のギブソンのギター、すなわちP–90のシングルコイルの音にも手を出したい。

どんなに調べようが、ビートルズの底は見えなく秘密が多い。5月11日、そんな彼らの謎を解き明かす本がまた新しく出たようで、題名は『ゲット・バック・ネイキッド』。音源ではのちに最後のアルバム『レット・イット・ビー』の姿で世に出たが、時系列は『アビイ・ロード』よりも前の、波乱だらけだったスタジオでの日々に迫るもの(のはず)だ。映像撮影に適しているからとの理由で選ばれたトゥイッケナム映画撮影所は、息を吐けば白くなる寒さ。アビイ・ロード・スタジオとは全く違った環境下でストレスが頂点に達する様子は映画『レット・イット・ビー』でも観ることができたが、この本にはどんなことが書いてあるのだろう。まだ本が手元にないのだけど、いつかこの連載で触れたい。そしてここまで書いて気づいた、もう僕は少しばかりの世界からの隠棲を手に入れているじゃないか。

◼️NOTES

1●THR10II
YAMAHAから発売されているモデリングアンプ。ステージやスタジオ以外、つまり居住空間でも快適に演奏できるように作り込まれている。ギターアンプの家での使用で困るのは、ある程度音を大きくしないといい音がしないこと。これは、音量が小さくても音質が損なわれにくい設計になっている。宅録の味方。

2●DP-008EX
録音の歴史はTASCAM無しにには語れないといっても過言ではない、アメリカの音響機器メーカーが販売している8トラックMTR。カセットMTRのようなシンプルな操作性とコンパクトなボディが最高。

3●SR16
今は倒産してしまいブランドとして残っている音響機材メーカー、アレシスの名機。1991年に発売されてからロングセラーになっているリズムマシン。僕は複雑なビートとか作れないけど、これ使うだけで音がかっこいい。

4●GALAXY 500
1987年に結成し、1991年に解散したアメリカのロックバンド。何で知ったかはもはや覚えていないけど、おそらく高校の時にセカンドアルバム『オン・ファイア』を中古でジャケ買いしたのが初対面。当時はまだ、ボーナストラックで入っている「セレモニー」がニュー・オーダーのカバーだとは知らなかった。

5●ジョナサン・リッチマン
1951年生まれ、マサチューセッツ州出身のミュージシャン。ザ・モダン・ラヴァーズでもソロでも有名。ジョナサン・リッチマン&ザ・モダン・ラヴァーズ活動時のモダン・ラヴァーズは、元のメンバーとは違う。オリジナルメンバーにはトーキング・ヘッズのジェリー・ハリスン、カーズのデビッド・ロビンソンなどが在籍。

6●ワン・マン・ドッグ
ジェイムズ・テイラーが1972年に発表した4枚目のアルバム。裏ジャケットには、レコーディングに使われた自宅スタジオが写っている。広い家に余裕を持って機材がおかれている画が象徴しているように、リラックスしつつ洗練された演奏が聴ける。

7●momose
日本を代表するギター職人である百瀬恭夫さんの元に集まったクラフトマンたちによるギターおよびベースのブランド。アッシュボディにハカランダ指板のテレキャスターとストラトキャスター。音は言うまでもなく最高。

8●シド・バレット
1946年生まれのイギリスのロックミュージシャン。2006年逝去。ピンク・フロイドのギターボーカルとしてデビューしたが、ドラッグにハマり安定した活動が不可能となって脱退。ソロファーストアルバムは『帽子が笑う…不気味に』の邦題で有名だが、原題は『The Madcap Laughs』。Madcapはイカれたの意。

9●ジェフ・エメリック
1946年生まれのイギリスのサウンド・エンジニア。2018年逝去。のちにピンク・フロイドのプロデューサーとなって彼らをデビューさせたノーマン・スミスのアシスタントとしてビートルズの録音に携わったのち、『リボルバー』からチーフ・エンジニアとなった。バスドラムにマイクを突っ込んだり、スピーカーの配線を逆にしてベース録音のマイクにしたり、レコーディングに革命をもたらした。

10●トゥイッケナム映画撮影所
今はもう閉館してしまったイギリスの老舗映画撮影所。ビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト』『ヘルプ‼︎』『レット・イット・ビー』はもちろん、バート・バカラックがテーマ曲を務めた『アルフィ』、ロマン・ポランスキーの『反撥』なども撮影された場所。

■筆者プロフィール
花井優太(はない・ゆうた)
プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。Twitter : @yutahanai

※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

筆者について

花井優太

はない・ゆうた。プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。昨年一番聴いたアルバムはSnail Mail『LUSH』。タイトルが載った写真は関口佳代さんに撮っていただいたものです

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