初期テレ東の海外サッカー中継 「後半は次週」の衝撃構成

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2014年を振り返ると、ついつい忘れそうになってしまうのがサッカーW杯の存在。期待が集まった日本代表は、1分2敗でグループリーグ敗退に終わり、日本中が大いに落胆しましたが、いまや国民的行事となったW杯のテレビ中継を初めて行なったのは、テレビ東京の前身の東京12チャンネルだったことをご存知でしょうか?

その番組は、東京12チャンネルが1968年から放送していた『三菱ダイヤモンド・サッカー』。そもそも海外トップレベルのサッカーを日本で初めて紹介したのも同番組で、今では“サッカー番組のバイブル”とされるほどですが、当初は苦労の連続でした。

第1回の放送の視聴率は0.4%。イングランド・プレミアリーグを1年間にわたって放送しましたが、試合前半が終わると「後半戦は次週お送りします」という衝撃の構成。そんなパイオニアがW杯を初放送したのは1970年のメキシコ大会でした。26試合を計53回の1年間にわたって放送し、続く74年大会の決勝戦・西ドイツ対オランダ戦では、日本初のW杯衛星生中継を成し遂げます。

また、あの“ドーハの悲劇”を放送していたのもテレビ東京でした。その平均視聴率は48.1%(瞬間最高視聴率は58.4%)を記録し、今も燦然と輝くテレ東史上最高記録。テレ東の歴史は、先見の明の歴史だったのです。

◆ケトル VOL.22(2014年12月12日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。