自作の映像化に拘った松本清張 撮影現場に顔出しカメラワークまで指示した

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現在、池井戸潤の大ベストセラー『下町ロケット』がTBSでドラマ化され、高視聴率を獲得していますが、一作家としてはあり得ないほど膨大な数が映像になっているのが松本清張です。

『黒地の絵』を何としても映像化したいという思いから、清張は1978年、株式会社霧プロダクションを設立しました。清張は若いときから映画が好きだったようで、自分の作品が映像化されたものの中には気に食わないものもあったのだとか。

「原作をひと度映画会社やテレビ局に渡してしまえば、養子にやってしまうのと同じで、養家先でどのように扱われようと口出しすることはできない」(『松本清張映像の世界-霧にかけた夢-』より)

事実、彼は撮影現場にまで顔を出し、スタッフと綿密な話合いを頻繁に行い、カメラワークまで入念に指示を出していたのだそう。そんなこだわりの強さが、映画『疑惑』のラストを決定付けたといいます。野村芳太郎監督が考えたラストは、ヒロインが最後救われるところで終わり。しかし清張はハッピーエンドの後にどんでん返しを用意すべきと主張し、衝撃の結末が生まれました。

「いつか映画の監督をしたい」と言っていたという清張。ちなみに1975年に始まったNHKの「土曜ドラマ」の松本清張シリーズでは、毎回必ず清張がカメオ出演しており、お遍路さん役や花屋役などをノリノリで演じています。

◆ケトル VOL.27(2015年10月15日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。