歌舞伎町を24時間中継し続ける元ホストの異色の経営者、手塚マキが「やりたいと思ってはじめた商売は一つもない」と語るわけ

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歌舞伎町でホストクラブ「Smappa!Group」をはじめとした12店舗の飲食店などの経営に携わりながら、夜間の街頭清掃活動を行うホストたちのボランティア団体「夜鳥の界」を立ち上げたことでも知られる手塚マキ。手塚は従来の閉鎖的なホストクラブのイメージとは異なるビジネス展開で注目を集めているほか、歌舞伎町の模様を24時間中継するライブネット放送スタジオ「TOCACOCAN」をオーガナイズするなど、元ホスト、経営者という肩書におさまらない、異彩を放つ存在である。そんな手塚に、ホストクラブの事業を始めた経緯、新宿歌舞伎町の魅力、個性的なビジネスを成功させる秘訣などを聞いた。

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「1996年19歳の時、ある意味ではアウトローな夜の世界に興味を持って、大学を中退してホストになりました。しかしなってみればやっぱり世の中からは敬遠されている世界だし、非常に閉鎖的な空間だなと思った。最初からいつかは普通の仕事に戻るつもりで始めたことだったので、7年やってお金も十分にたまったところでホストを辞めました。ところがひょんなことから今度は経営者としてホストクラブの経営に携わることになった。どちらかと言えばそれは自分の意志というより、町や人間関係の流れでしたね」

閉鎖性が嫌になって一度辞めたというホストの世界。経営者になった手塚には葛藤があったという。そんな手塚がホストクラブの経営で新しい展開をしはじめたきっかけはどこにあったのか。

「1軒目を始めて暫く経った2004年頃、そもそも自分が後悔しているビジネスを若い子たちにやらせるのってどうなのかなと、やっぱり悩みましたよね。でもそれが改めてこのビジネスについて考えるきっかけになった。今はネット全盛の時代ですよね。だからこそネットで得られないものが求められている。そういう意味では今後のビジネスは『何を買うか』より『誰から買うか』が中心になっていくと思ったし、そうであれば『この人から物を買いたい』と言わせる能力を身につけられる場に社会的意義が出てくると思った。ホストクラブという場はやり方次第で今後も必要とされていくなと。

同じ頃、社会ってそもそも何だと考えて。まず自分の周囲にある小さい社会、周囲の仲間について考えるようになった。すると店のスタッフだけじゃない、お客さんも友人もある意味で自分の仕事仲間なんだと。そこから枠がどんどん広がっていった。そうしたことが自分のビジネスを社会に開いたかたちで展開してきた理由かもしれないですね」

人間関係と時代の流れを見つめ、ビジネスとしてのホストクラブの可能性を追求していく一方、手塚はホストたちによるボランティア団体「夜鳥の界」を立ち上げ、注目を浴びる。ホストとボランティアという意外な取り合わせはどこから生まれたのか。

「2004年に新潟県中越地震があったんですが、その時仲間と計400万の義援金を持って被災地に行きました。実は知り合いにニュースになるからと勧められて、正直半ばよこしまな気持ちもあって行った。ところが僕らが避難所である体育館に行くと、子どもやおじいちゃんたちみんなが、『本当にありがとう』とお礼を言ってきてくれた。ホストは何やってもホストでしかないと考えていたので、この時はすごく驚きましたね。社会に貢献すれば人は見てくれると。色眼鏡でホストを見ていたのは実は世間じゃなく、自分だった。この気持ちをスタッフと共有したくて、みなでタダで出来るごみ拾いを始めたんです」

ホストというネガティブなイメージを独自の手法で変えてきた手塚。そんな手塚の仕事で最近特に注目を集めているのが、歌舞伎町の今を発信するスペース、ライブネットスタジオ「TOCACOCAN」だ。歌舞伎町に定点カメラを置いて24時間中継するこのプロジェクトは話題を集めている一方、収益に結びつけるのは容易でないように思われる。きっかけはなんだったのだろうか。

「まずあのビルが空いて、あの場を使って歌舞伎町にとってプラスになることができる人はいないか、ということで僕が依頼されたんです。当初は純粋にビジネスの方向性で考えていたんですが、途中で条件が変わったこともあって、結局歌舞伎町の模様を流しながら、おもに新宿ゆかりの人たちや現代芸術家の会田誠さんなどをお呼びして、ある意味で収益よりも新宿の文化と今を発信することを重視するプロジェクトにした。もちろん事業は最終的には業績を上げる見込みが必要なわけですが、単純に金儲けだけを考えていてもつまらない面もある。

もともと自分はホストとして歌舞伎町に拾われて救われたという思いがあったので、以前から町に恩を返さなきゃという気持ちもありましたし、あとは歌舞伎町の交番の真ん前というあの場所が最高だなと思ったんですよ。新宿歌舞伎町という町がそもそも特別だと感じていたし。そこで町というフィールドを使って新たな価値を創り出せればと」

人だけではなく次第に場所の重要性にも気づいていったという手塚。そんな手塚は主戦場としている現在の新宿の町をどのようにとらえているのだろうか。

「歌舞伎町は歩いている人を見ていてもとにかく個性的な人が多い。ロボットレストランみたいな観光地的なスポットも増えていて、外国人のセレブリティからSNSで評価されるかたちで町の価値も上がってきています。逆に海外のブランドショップだらけの街に行くと、それって世界中どこにでもあるしなぁと思うんです。

僕はTOCACOCANをオーガナイズしてはいますが、歌舞伎町は特定の個人が仕切ることができない。歌舞伎町はいろんな人間の色を吸収している町で、色が混ざり合っているがゆえに強烈な魅力がある。ここにいれば何か面白いことが起きるというのを感じる町です。コマ劇場跡地にシネコンが建ってからは町も明るくなったし、今の若者たちには歌舞伎町が怖いというイメージがない。若い人はこれからもっと増えるんじゃないかな」

実はTOCACOCANの入っている歌舞伎町商店街振興組合ビルは、この秋の解体が決まっている。解体にともない同ビルでは10月15日(土)から、Chim↑Pomが新作個展と多ジャンルのライブイベントからなるプロジェクト<『また明日も観てくれるかな?』~So see you again tomorrow, too?~>を開催するという。イベントにはジャズミュージシャンの菊地成孔や伝説のプロデューサー・康芳夫など錚々たるメンバーが名を連ねているのだが、手塚はChim↑Pomやこのイベントについてどう考えているのだろうか。

「今回のChim↑Pomのプロジェクトのテーマは都市の再開発と『Scrap and Build』で、ちょうど振興組合のビルも壊すことに決まっていたからぴったりだった。でも開催2週間前の今でも当日どんなことが起きるのかがさっぱり分からないし、正直ちょっと心配です。彼らは何しろビルに穴をあけるつもりらしいですから(笑)。でもこれも歌舞伎町だからできるところがある。新宿には、もう目つぶるからやっちゃっていいよ、みたいな感じがあるんです。Chim↑Pomは本当に自由な発想で動く人たちで自分も影響を受けましたし、自分がオーガナイズしている場所がそういうマインドを持った若い人たちを生む環境になれば理想的だなと思います」

ユニークなビジネス展開で注目を集めてきた手塚だが、自身の目標や夢はどこまで実現できたと考えているのだろう。

「実は僕は自分でやりたいと思ってはじめた商売って、一つもないんですよ。全て人間関係と流れです。僕は夢って持たなくていいと本当に思っている。というのも実は夢を持って生きていくのってつらいし、夢を実現させるためならズルをしてもいいと人は考えてしまいがちになる。でも本当は嘘をつかずに人を大事にしていけば、チャンスが回ってくる。チャンスがくると人は何かに感謝するものなんですが、僕が感謝したのはこの町だった。そういうこの新宿も数年後にどうなっているかは誰にもわからないのですが、そういう町でなければ逆に自分はいなかったかもしれない。新宿はそういう面白い場所です。今後もその町をさらに自分たちの会社で面白くしていければと思います」

【プロフィール】手塚マキ(てづか まき):元ホスト、経営者、ボランティア団体「夜鳥の界」リーダー。愛称は「てっかまき」。中央大学理工学部中退後、歌舞伎町の有名ホストクラブで働き始め、短期間でトップの座を勝ち取る。2003年に独立し、現在はホストクラブSMAPPA!HANS AXEL FON FERSEN をはじめ4店舗、ゴールデン街BRIANBARをはじめバーを5店舗、ヘアメイクスタジオ、アイラッシュサロンなど12店舗を有するSmappa!Groupを経営。私生活では2014年に世界的に知られる芸術家集団「Chim↑Pom」のミューズであるエリイと結婚。著書に『自分をあきらめるにはまだ早い 人生で大切なことはすべて歌舞伎町で学んだ』(2009年、ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。

取材・編集/原カントくん  文/本間 揚文

※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。