もし街でゾンビに出くわしたら? 究極のマイノリティから学ぶ人間の道徳

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突然ですが、道を歩いていてゾンビに出くわしてしまったらどうする? (1)大声をあげて助けを呼ぶ、(2)近くに落ちている石や棒で攻撃する、(3)とにかく走って逃げる。実はこれ、全部不正解! というのが小説『ぼくのゾンビ・ライフ』の世界です。
 
物語の舞台はアメリカ。主人公はドライブ中の事故で助手席に乗っていた妻を失い、自分だけゾンビとして生き返ってしまったアンディ・ワーナー34歳。彼は、「左足の足首は前衛アートのように曲がって」いて動く速さはナメクジ並みのさえない男……。

この小説の世界には、なぜかゾンビとして蘇ってしまった人たちがたくさんいて、彼らは感情も友情も生前の記憶も、エッチな本を見たいという欲望もあり、生者との共存も望んでいます。ゾンビなので見た目は少々個性的ですが、心は人間のまま。そんなゾンビたちに(1)~(3)のいずれかを行ったら、落ち込ませてしまうことは必至なのです。

ただ、自分とは違う存在を虐げようとするのは、人類の歴史と変わりなく同作の人間たちも同じで、アンディたちは日常的に辛い思いをしています。人間たちに対し、アンディは首から「ゾンビに公民権を」などが書かれたプラカードをかけ、差別の撲滅に奔走しています。そして、最終的に彼の活動は世論に影響を与えるまでになるのですが……。
 
主人公の視点から「ゾンビがいる人間社会」が語られる同作では、たびたび〈ぼくの言っていることは理解できないのかもしれない〉という言葉が出てきます。ゾンビでなければ、腐敗していく自分の臭いに悩むことも、道を歩いているだけで罵声を浴びせられることも、タチの悪い大学生たちに襲われ腕を引っこ抜かれることもない……人間との間に発生する壁に苦しむことはないという気持ちが、この言葉に集約されています。しかし、このアンディの言葉は、何もゾンビだけに当てはまるものではありません。

アフリカ系アメリカ人の父とデンマーク人の母の間に生まれ、自身も人種差別に苦しんだ作家、ネラ・ラーセンの代表作『白い黒人』には次のような文があります。

〈黒人に生まれてこなければよかったのにと思った。(中略)一人の人間として、自分自身のことを苦しむだけで精一杯なのに、なおその上、人種のために苦しむことなどできるはずもなかった。それは無慈悲で、不当なものだった。きっと、ハムの黒い子どもたちほど、呪われた人々はいないのだ〉

ラーセンが同作を上梓したのは1929年と、昔の話のことのようにも思えてきますが、2014年に白人警官が言い合いになった黒人の青年を射殺した「ブラウン事件」のように、差別はなくなっているわけではありません。『ぼくのゾンビ・ライフ』は、ある日ゾンビとして蘇ってしまった登場人物たちを通して、現在も社会が持つ冷酷な一面を表しているのです。ゾンビという究極のマイノリティを題材に、人の生きる道を説いた物語です。

◆ケトル VOL.38(2017年8月16日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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