ジャッキー・チェンが「マイ・アイドル」「サインがほしい」という日本人は?

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ジャッキー・チェンといえば、言わずと知れた世界的スター。そんなジャッキーが、「オー! マイ・アイドル!」と思わず興奮してしまう日本人。それが俳優の小林旭です。『ポリス・ストーリー レジェンド』のプロモーションで日本の情報番組のインタビューに登場した際には、今、一番ほしいものを聞かれて、「アキラ・コバヤシのサインがほしい」と答えたほどの大ファンなのです。

ジャッキー以外にも香港映画界には小林にあこがれている著名人は多く、映画監督のジョン・ウーや俳優のチョウ・ユンファも敬愛していることが知られています。しかし小林旭の日本におけるイメージは昭和の大スター。それがなぜ、今も香港の映画人たちにこれほど愛されているのでしょうか。

実は小林旭が映画俳優として全盛期だった1960年代、日本映画は東南アジアの各国でブームになっていました。特に日活が得意とした無国籍アクション映画(日本のようで日本でない架空の場所を舞台にした作品群。和製西部劇ともいわれた)は、アジア映画のみならず、フランスのヌーベルバーグにさえも影響を与えたといわれています。しかも、日本の映画会社のアジアマーケットにおける当時の拠点は香港にあり、正確なデータは残っていないものの、かなりの本数が公開され、多くの観客を集めたとか。

その頃、小林は日活の看板俳優でした。主演の『渡り鳥』シリーズや『流れ者』シリーズは、わかりやすい勧善懲悪のストーリー、ジャッキーを彷彿とさせるコミカルなアクション、そしてクライマックスの手に汗にぎる銃撃戦が若者の人気を集め、日本のみならず各国で大ヒットを記録。小林を「日本のスター」から「アジアのスター」へと押し上げました。自伝『永遠のマイトガイ』の中で、小林は東南アジアのファンの熱狂ぶりを、こう語っています。

〈とにかく東南アジアでは、小林旭はまるで神様扱いされてしまっていた。台湾、バンコク、マニラ、香港……人の渦で飛行機から降りられないなんていつものこと。飛行機の中で待たされてやっと警察のお偉いさんみたいな人が上がってきたと思ったら、我々の顔を見てニタニタしている。結局、握手してくれみたいな話で、人を整理するどころか自分たちも渦に巻き込まれて何のことはない、メチャクチャになっちゃうだけだった〉

小林の映画が香港で人気を博していた頃、ジャッキーは10代。多感な時期に小林のアクションを観て、大いに刺激を受けました。実際、「小林旭を基準にしてアクションを考えてきた」とその影響を認めています。

ジャッキー以前の香港映画は、戦う者が向き合い、延々とカンフーで打ち合うものでした。しかし、例えば小林の『東京の暴れん坊』では、レストランの1階で始まったケンカが、そのまま終わることなく2階へと移り、敵を階下に吹き飛ばしたり、ダイナミックな飛び蹴りを見せたりしながら続いていきます。長い格闘シーンに上下の動きを加えたことで、観客を飽きさせないようにしていたのです。同じような演出はジャッキーの映画の至るところですぐに見つかります。確かに小林旭は、ジャッキーの「マイ・アイドル」だったのです。

◆ケトル VOL.40(2017年12月14日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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