「いいね!」で勘違い 安倍総理がSNSで陥っているワナとは何か?

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情報伝達・共有の手段として必須のアイテムになった感のあるSNS。当初は、“一般の人”が交友を広めるツールとして使われてきたが、今や国のトップが自分の思いを伝える場へと変わり、安倍晋三総理もTwitterやFacebookで情報を発信している。

総理が発信する情報に「いいね!」を押せる環境ができたことで、「国民と総理との距離が縮まった」という意見には一定の説得力があるが、SNSには“誰もが陥るワナ”があると指摘するのは、立憲民主党幹事長・福山哲郎と精神科医の斎藤環だ。7月13日に『フェイクの時代に隠されていること』を上梓した福山と斎藤は、同書の中でこのように語っている。

 * * *
斎藤:安倍総理だってTwitterやFacebookのアカウントを持っているわけですけれども、取り巻きに囲まれて、「皆が僕を承認してくれている」っていう気分になりやすい。一方通行で、批判は届かない仕組みになっている。諫言してくる相手はブロックしちゃえるので。あれは本当に対話にならないですよね。

「いいね!」にしてもリツイートにしても、本当は承認じゃなくて「そんなバカなこと言いやがって」っていうリツイートもあると思うんですけど、される側からしたら全部承認なんですよね。千もリツイートされたら、千人もの人に自分は支持されていると。本当は違うんだけれど、そう思い込みやすいという承認ツールなんですよね。

特にFacebookは、けっこう政治家を頑なにするんじゃないですかね。「僕の言っていることは正しい」みたいな感じに。何か発言すると追従者がいっぱい「いいね!」ボタンを押してくれたり、おべっか的な意見を書き込んだりするわけじゃないですか。

福山:Twitterは匿名の悪意のあるフォロワーによって荒れる傾向が強いですが、Facebookはファンの人が多い。数はTwitterほどではありませんが、Facebookのコミュニティで発信する方がはるかに気持ちが良くて楽なんです。

斎藤:そりゃそうですよ(笑)。

福山:Facebook上って、ほとんど応援していただいている方たちのコミュニティだから、そこで発言して「そうだ!」って来たら、他の多様な意見とか反対意見が来たとしても、そこで「そうか、それもあるね」って言った瞬間に、元々応援しているコミュニティから「お前、なんだよ。オレらを裏切るのか」って言われる。それで多様性を許容する意見とかは言えなくなるわけですよ。

斎藤:それがけっこう大きな問題な気がしますね。

福山:どんどん多様性から逆行した、このコミュニティ以外の声、自分を応援してくれる以外の声は、排除する方向に行かざるを得なくなるんですよね。このメンタリティは危ない。

斎藤:危ないです。Twitterとかは、ある種の透明性が担保になっている部分もあったと思うんですよ。下手なことを言うと直接突っ込まれちゃうわけじゃないですか。だから、いちおう公明正大にやっていますよというアピールとしてやるんだけど、でも実際は橋下徹さんみたいに、答えにくいところを突っ込まれると、黙っちゃって対話にならなかったりする。

一定の支持層ができちゃうと、逆にその意見に支配されてしまうというか、それと違うことを受け入れ難くなってしまうという面がある。「承認」って恐ろしいもので、必死でそれにしがみつこうとする人が多いわけですから。それを考えると、変なことを言って承認を引き揚げられるよりは、とりあえずこのコミュニティの皆の意見を尊重してやっていこうとしてもおかしくないです。厄介なのは、その支持者を見て、皆が自分を支持していると思えてきてしまうところですね。

福山:不思議なんですけど、FacebookもTwitterも身近にコミュニケーションが成立していて、「あぁ、自分を承認してくれている」と思ってしまっています。自分の直接の後援会は関係性は濃くてもそんなにしょっちゅうコミュニケーションするわけではありません。もちろんSNSの世界の方がよっぽど関係性が薄いのに、逆に安心してしまう。

斎藤:錯覚しちゃうんですよね、ネット空間の距離感って本当にわからなくて。

福山:ただ、広がりを持たすためには、すごいツールなんですね。その広がりが限界値に達したときに、その次の広がりがどこまで広がるかというのと、そのなかで自己完結した世界になるっていうのは、まだ私は見分けがつかないです。

斎藤 なんでもそうですけど、力を与えるツールであると同時に、力を押さえ込んでしまうものという諸刃の剣のような性質がありますよね。だから本当に動員力はすごいんですけど、逆に動員される人の意見に縛られてしまうことになりやすい。これは半ばは必然なので、その辺をどう上手に使い分けるか。これは今後SNSを利用した政治活動を考える上で大事なテーマかなと思います。

福山:それだけにオープン・ダイアローグは非常に重要なツールだと思いますね。これからたぶん、SNSによって、直接自分の意見を言いたいという欲求は間違いなく広がりますよね。デモに来ることによる意見表出というのは、一体感はあるけれども、やっぱり間接的です。

時代の流れとしてはやっぱり直接民主主義的に住民投票だ、国民投票だ、みたいに、自分たちにも意見を言わせてほしいという要求が間違いなく高まってくると思うんです。高まれば高まるほど、共有したプラットフォームがないと、一方的な情報だけで物事を動かすようなことが起こるので、それは社会としては危なくなります。そのプラットフォームをつくる工夫を、いろんな技術が進歩しているなかで政治家がどう開発していくか、私はこれはひとつの大きな課題だと思いますね。

斎藤:オープン・ダイアローグとの出会いで明らかになったことのひとつは、「直接会うことがすごく大きな意味を持つ」ということなんですよね。バーチャル上のやり取りだけだとまとまらないものが、会うことでなんとなくまとまることがあり得るということを、けっこう明らかにしているところがあります。そのプラットフォームのなかで、直接の対応をどううまく運用していくのが望ましいか。

たとえばSEALDsの若者たちは、SNSでつながって集まって、デモの現場でも会っていたわけですよね。そういうことがけっこう大事になってくると思うんです。ただ、デモはやっぱりひとつのパフォーマンスなので、ある程度意見が統一されてないと集団行動にならないじゃないですか。ユニゾン空間というか、同じ意見を皆で言うことでいっそう力を増す行為だと思うんですけど、もうちょっとポリフォニックなもの、いろんな多様な意見がせめぎ合っている状況を、これはこれでまた別に確保した方がいいんじゃないかな。

福山:おっしゃる通りで、たとえば国会や委員会での質疑を見たり、SNS上で私のイメージを受け止めている人で、なおかつ多様な意見の人がデモに来ているわけですね。その人たちの前で何かを喋るというのは、実は大きなプレッシャーなんです。だって来ている一万人の人がどんなイメージで私を見ているのかわからないなかで話すんですから。

ひょっとしたら「なんだ福山って、こんなものか」とか「もっとはっきり言ってもらえると思ったけど、やっぱり政治家だからいい加減で抽象的にしか言わねえな」とか、そりゃいろんな感想があるはずなんです。でも、それもひとつの新たなコミュニケーションなんですね。

斎藤:全然違和感が出てこないコミュニケーションって危険ですからね。オープン・ダイアローグの醍醐味は、「共感と違和感を交換する」ところにあるので、それがいい結果につながっている。共感だけでは治療はうまくいかないという実感もベースにある。だから政治への直接的な応用はなかなか難しいかもしれませんけれども、部分的にせよいろいろと取り込めるアイデアはあるんじゃないかと思います。もっとも相手もオープンじゃないと意味がないっていうのが大きな問題です。

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政治家のSNS利用に関しては、なにぶん歴史が浅いため、簡単に功罪を語るのは難しいが、国民の信託を得て国のトップが立った人間が、SNSで取り巻きに囲まれ、承認欲求を満たす構図はいかにも間抜けだ。

同書ではこのほか、忖度がなぜ暴走したのか、真実よりもフェイクが氾濫する理由、最悪の法改正案、増え続けるひきこもり、続く貧困と差別など、「政治の現場」と「精神科医療の現場」の視点から、この時代の裏で起こっていた事を解説している。

【関連リンク】
フェイクの時代に隠されていること-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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