ライガーが振り返る東京D名試合 長州から聞いた「一生忘れられない言葉」

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1989年4月24日、新日本プロレスの初の東京ドーム大会で誕生した獣神サンダー・ライガー。“世界の獣神”として世界中のレスラーに影響を与えてきた“生ける伝説”は、東京ドーム大会で数々の名勝負を繰り広げてきたが、本人が印象深い試合はどれなのか? 「ケトルVOL.46」で、ライガーが、印象深い3試合をあげている。1つ目は東京ドームが超満員となった1995年10月9日のUWFインターナショナル(Uインター)の対抗戦だ。

「Uインターはキックや関節技を前面に押し出して、ロープワークもしないっていう団体でした。僕は佐野直喜さんと対戦したんですけど、この試合で佐野さんがトペ・スイシーダをしてきたんですよ。リング外に向かって頭から突っ込む技で、Uインターの精神とは真逆ですよね。あのトペはそんな佐野さんをこっちの世界に引き込んだってことですから、試合には負けましたけど、内容としてはオレの勝ちだって思いました。もう、あの一瞬だけで『やった!』ってなもんです」

2つ目は1998年1月4日、長州力の引退試合で5人がけシングルマッチの最後の相手を務めたこと。長州力の引退試合で最後の相手を務めたライガーは、長州のリキラリアットを初めて受けた一戦で、意識が朦朧とするなか、長州からある言葉を聞いたという。

「長州さんにフォールされたとき、『あとは頼むぞ』と言われたんですよね。長州さんが維新軍だったとき、僕は練習生として身の回りの世話をしていたんですよ。そういう縁があって試合相手に指名してくれたのかな、とは思いましたけど、今もあの言葉の意味を聞いたことはないです。長州さんもいちいち説明するタイプじゃないしね。でも、一生忘れられない言葉です」

そして3つ目は、ノアのベルトであるGHCジュニアヘビー級王座を懸けて、同団体の杉浦貴と闘った2004年1月4日の大会だ。今では想像もできないほど団体同士の溝があった時代だけに、試合は激しくヒートアップした。

「あの頃はまだファンが他団体にライバル心を燃やしていた頃で、特にノアのファンはすごかった。僕らがノアのリングに行くと、会場はケンカ状態でしたよ。ブーイングしか聞こえないんだから。もともとはアントニオ猪木さんとジャイアント馬場さんのどっちが強いかって流れがあって、プロレスでは団体同士のファンがバチバチにやり合うっていうのが当たり前でした。

今は他団体の選手が新日本に上がっても、みんな拍手で迎えますよね。昔を知っている僕からしたら、今のほうが信じられないですよ。そんな緊張関係が残っていた頃にノアのベルトを取ったということで、『ざまあみろ!』ってなりましたね」

どちらの時代が良いかは人によって意見が異なるだろうが、そんな時代を知るライガーは貴重な存在。近年は東京ドーム大会でタイトルマッチに絡むことも少なくなってしまったが、ファンは再び大舞台で活躍するライガーの姿を待ち望んでいるはずだ。

◆ケトルVOL.46(2018年12月15日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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