【#わたしの大好き】ライブと生ビールのマリアージュ

カルチャー
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雑誌『ケトル』は、6月号として「みんなの大好き」特集を制作中。みんなの大好きをつくる方々と、各々が好きなものに焦点を当てた内容になります。そして現在、note公式アカウントでは、特集「みんなの大好き」にちなんで「#わたしの大好き」をテーマに1000〜1500字のコラム・エッセイを募集中。新型コロナウイルスによって、人と人だけではなく様々なものと距離を取らざるを得ない日々が続きますが、「いまは触れらないが、収束後は……」「外では難しいが、今は家の中で楽しんでいる」「あらためて自分にとって大切なものだと気づいた」など、大好きなものや、愛が深まったものへの想いを寄稿いただいてます。今回はその中から海目 冬花さんの原稿を紹介させてください。

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音楽、特に生の音楽に触れることのできるライブが私は大好きで、気の合う仲間と、もちろんひとりでだって構わず、定期的に足を運んでいる。ところが近頃の私ときたら、ライブに行く機会をとことん失っているのだ。四月の一ヶ月だけで、三本。やる気満々でチケットを入手してからの日々、過去の音源を聴き漁って予習に励んで、もっとファンになったあの人。前回の来日も急遽中止になってがっかりしたけれど、何年か越しにようやく生で拝めると思って楽しみにしていたあの人。この度の世界的な脅威の影響を受け、みな口々に無期限延期の声明を発表した。

一ヶ月で三本はさすがに予定を詰め込みすぎでしょう、と周囲にたしなめられたのがもはや懐かしい。数打ちゃ当たる、と言わんばかりにチケットを申し込んだ反動で、思いもよらぬ形で跳ね返ってきたこの虚無感。来るべき日まで手元に置いておくよう案内されたチケットが、今の私には無意味な紙切れのように映る。が、来るべき日を信じたくて、払い戻しの手続きはしないでいる。これはもはや意地でしかない。

ライブの醍醐味は、何も目当てのアーティストのパフォーマンスに触れることだけではない。お酒だ。お酒と音楽はもちろんそれ単体の良さもあるが、二つが掛け合わさった時にこそ遺憾なく魅力を発揮し合うのだと個人的には思っている。音楽とお酒のマリアージュは、いつだって最高だ。楽しい気分の時はいっそう陽気にさせてくれるし、しんみりしたい時にはそっと寄り添ってくれる。大人になってよかった、と心から思える時間である。

もちろん、自宅で音楽を流しながら、好みのお酒をゆったりと飲む時間も悪くない。ただ、どうしたって外で飲む生ビールには敵わないのだ。フェスやライブハウスでワンコインを払って飲む、プラスチックカップ入りの生ビール。ライブ後の居酒屋で飲む、とりあえず一杯目の生ビール。その場の雰囲気に酔いしれながら、時に汗と結露でべたべたになりながら飲むのも、仲間と感想をあれこれ交わしながら、もしくはひとり余韻に浸りながら飲むのも、また違った良さがあるというもの。

やっぱり生が好き。ライブも生ビールもない人生なんて、味気無さの極みだ。徐々に周りの飲食店も、全くもって普段通りとは行かずとも営業を再開してくれているため、ようやく一筋の光が射してきた。これ以上おあずけが続いたら、と想像するだけでぞっとする。

そんなわけで今の私は、いつか待望の時間を過ごすためのチケットとなるであろう紙切れの存在を想いつつ、SNSや動画サイトにアップされた、期間限定配信のライブ映像や特別な音源なんかをお供に、缶ビールを飲みながらその日が来ることを待つのに徹している。その日に最高のライブと最高の生ビールを愉しむための、前向きなステイホームだ。とは言えせめて雰囲気だけでも味わいたいから、部屋の灯りを少し落としたりなんかして、たまには缶のままじゃなくてコップに注いで飲もうかな。

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いただいた言葉の一つ一つが、また誰かの文化との出会いになれば幸いです。お好きなものについてぜひご寄稿ください。宜しくお願い申し上げます。

※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。