ニューヨーク屋敷 「ネタがおもろかったら、なにやってもナメられへん」

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デビュー直後から「ネクストブレイク芸人」と期待されながら、長らく不遇の時を過ごした「ニューヨーク」が、ようやく陽の目を浴びている。昨年末のM-1グランプリでは2年連続で決勝進出を果たし、「キングオブコント2020」では準優勝。さらにYouTubeチャンネルも順調に登録者数を増やしている。トンネル脱出のきっかけはいったい何だったのか? 2020年12月25日発売の『クイック・ジャパン』vol.153で、屋敷裕政はこのように語っている。

屋敷 「それまで長いこと『あとは足りないのは賞レースだ』って言われ続けてきたんで。俺らも賞レースで結果さえ残せば売れると思ってたんですけど、それがもうしんどくなってきて。賞レースって不確定な要素が多すぎるし、100%そこに賭けるのはしんどいなって思ったタイミングで。それで、2019年にYouTubeをはじめてから少しずつ風向きが変わっていったというか」

屋敷は社員やマネージャーなどを集め、「YouTubeをやりたい」と宣言。それを実行に移した結果、「不思議なもんで、賞レースはもういいかなって思った年に決勝行けた」(嶋佐和也)そうだが、初のM-1決勝の舞台は、やはり特別だったという。

屋敷 「決勝進出が決まったときは、もう今までで一番うれしかったです。ずっとガチャガチャ引いてたけど、当たりも入ってたんやって。行けへん人生かと思ってたけど、行けるほうの人生やったんや、って。それがすごいうれしかったですね」

嶋佐 「ラストイヤーだった囲碁将棋さんとか、ずっと一緒にやってきた先輩のダイタクさんとかに『おめでとう、がんばれよ』って言われて、泣いちゃいましたね。自然と涙が……やっぱそれだけ長いこと青春してたってことですよね」

そして翌年のM-1でも決勝に出て、評価を確かなものにしたニューヨーク。大事なポイントは“感覚の一致”だという。

嶋佐 「そこが一番、合っているところかもしれないですね。『おもんない』の部分は特に」

屋敷 「芸人としての生理的なもんですよね、それは。それをやる芸人っておもんないんちゃうか、っていうのはあると思います。ただ、そういうのも少しずつ変わってきますけどね。俺らもオンラインサロンやろうとしてますし、自分の版画でクラウドファンディングやりましたし。俺は個人的には、ネタがおもろかったらなにやってもナメられへんと思うんで。副業やろうがなにやろうが、ネタがおもろいやつであればいいと思います」

M-1終了後は飛躍的にテレビへの露出が増え、バラエティ番組でひっぱりだこのニューヨーク。YouTubeで公開されたドキュメンタリー映画『ザ・エレクトリカルパレーズ』は各方面から絶賛されており、2021年が“ニューヨークの年”になるのも、決して夢ではなさそうだ。

◆『クイック・ジャパン』vol.153(2020年12月25日発売/太田出版)

【関連リンク】
クイック・ジャパン153-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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