松山俊太郎インタビュー
蓮を究める

聞き手=田村治芳、目時美穂
構成=皆川秀

※本文には、今日の観点からみると差別的表現ととられかねない箇所が散見しますが、
時代的背景と作品の価値に鑑み、また著者が故人であるため、原則として原文どおりとしました。

一人でやりゃあ十万年

 蓮ね。嫌いじゃないけど、それほど好きでもない。わたしは、やらなきゃならないことはやらないわけだ。やらなくてもいいことしかやらないと、かなり若いときに決めているから。だからこの世から蓮がなくなったって、わたし自身はそんなに悲しくないだろうと思う(笑)。興味をもったのは昭和三五年ぐらいから……いま、昭和でいうと何年なんだ? 昭和八四年? だからね、五十年ぐらいですかね。

 大学のころには、まだ「時間」のことをやろうと思っていたんです。それに必要な文献を三百冊に、論文を三百ぐらい集めて、それを読んだ上でこっちの考えを立てていこうと思ったんだけど、本を集める時間がないという、バカなことに気がついた。それに時間は生きてさえいれば存在するわけだから、牢屋へ入っても研究できるということが一つあったし、それで「時間」はやるにしても将来、たまたまインドの詩をやることになっちゃったから、蓮ならわりに簡単に、まぁ、簡単といっても二、三十年はかかると思ったけれど、三十年ぐらいかけて蓮を扱いながらなにかを組織的にまとめる稽古をすればいいと思ったわけです。

 梵文学を選んだのは、成績が悪くても進学できるということと、志望するやつが少ないからです。ただ偶然ながら、そこで辻直四郎先生にお目にかかれたのは非常な幸いだった。ふつうの先生なら、学生が少ないから授業は喫茶店ででもやろうというところ、辻先生はたいへん厳密でした。先生の出身の言語学というのは、人文科学のなかでは一番自然科学に近い、自然科学的な法則が立つ学問だから。先生のような何十年に一人の秀才が、ものすごく勤勉に勉強されるのを見て、逆に学問の恐ろしさというものが、かなり早い時期にわかりました。

 インドの詩には蓮と睡蓮がやたらめったら出てきます。蓮の場合は基本的に赤い蓮と白い蓮なんだけど、睡蓮の場合は、昼間咲く蓮と、夜咲く蓮があって、夜咲く蓮は「お月様の恋人」だったりと特別なニュアンスもある。それがわからないと、詩というものがわからないのに、ヨーロッパのほうでは蓮と睡蓮の差も気にしないヘンなやつが翻訳したり研究したりしているんです。蓮に関する根本的な事実、基礎的な研究をしている人が驚くほどいない。それでまぁ、自分のやっているインドの叙情詩とのつながりの上でね、蓮のことを調べてみようと。

 ところが、その蓮が終わらない。やってくと、蓮に関連するものが無限に拡がるんですよね。砂浜に、ちょっとした池を掘るつもりだったのに、周りが崩れて泥沼になって境目がわからなくなる。あるいは、望遠鏡を大きくすれば見えるものが増えるけど、増えたぶんだけ関連がますます複雑になってくる。

 一人でやりゃあ十万年、という感じです。終わらないわけよ。だからその前に、めでたいことに人類が滅びる。一人じゃ、あらゆるところに目を向けることはできないでしょ。だからまず、人間が労働から解放されないと蓮の研究はたいして進まない(笑)。

 ま、数えかたによっては、べらぼうに違ってくるんだけど、梵語の字引きには三百五十ぐらい蓮を表す言葉が出てくるんですよ。単語じゃなくて「水から生じたもの」とか「池から生じたもの」「泥から生じたもの」というように、「水」に当たる言葉とか、「生じた」という動詞もいろんな形があるでしょ。それだけを組み合わせても二十や三十になる。実際には五百以上もあってね。さらに、後世の人が「蓮」を表す新語を勝手に作ろうとも意味がわかれば通用するわけだ。現在でも梵語の詩を作る人はラテン語の詩作者よりも多いんです。

 つまり、それだけの数の詩のなかで、字引きや文学史に載っていない「蓮」が作られている可能性があるわけで、これはきりがない。

 もちろん、日本語でいう蓮に当たる言葉もある。インドの言葉というのは、方言まで分ければ九百種にもなりますけど、大きく分ければ、侵入してきたアーリア人のアーリア語と、ドラヴィダ人を含むタミル語、ムンダ語の三つでしょ。で、そのうち、もとアーリア人がいた所には、蓮はなかったようなんだ。だからおそらく、梵語における蓮という言葉は、タミル人とムンダ人に接触してからのもので、それでも単語だけで数十じゃきかないね。

 蓮は泥のなかから生じたけれども穢れない、というのは、もともとインド人がいいだしたことなんだけど、ほとんど仏教でいわれることです。仏教以外では大叙事詩『マハーバーラタ』の一部分『バガヴァット・ギーター』と、ジャイナ教のお経のなかに一回ずつ出てくるけど、これは仏教から採りいれたものかもしれないね。というのは、濁世(じょくせ)というぐらいで、世のなかは穢れている、そのなかで穢れないのは立派なことだという認識は、おそらく仏教徒特有の考えかただからなんだ。それから「悪人同士の友情なんてものは、蓮の葉の上に載った水滴のようにすぐにどこかへ転がっていってしまう」といった喩えが『マハーバーラタ』にあるように、「蓮の花が水に汚れない」というのと「蓮の葉の上に載っている水滴が汚れない」というのは、似ているけれどもちょっと違います。

 逆に、仏教と蓮はそれほど深い結びつきではない、とも考えられる。古い時代の経典や、それこそお釈迦さまが在世されていた時代に作られたかもしれない詩のなかにも、超越的で汚れない蓮を讃えた言葉が何十かはあります。大乗仏教になってから、浄土三部経とか法華経、華厳経といった、蓮がなければ成り立たないところは出てくるけど、それが教義の中枢に結びつくという状態は、長いあいだなかったのね。

千百億の世界

 日本人は、シナ人の空想は大げさだというけれど、それよりまた比較にならないくらい大げさなのがインド人の空想です。そしてインド人のなかでも仏教徒の空想、いわゆる原始仏教はそんなに大げさではないけど、特に大乗になると、バラモン教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の空想よりも大げさになるんです。お釈迦さまは人間でしょ。人間出身の仏さまが他の神様に負けないようにするには、超能力を付加したくなるわけですよ。

 たとえば、蓮の大きさでいえば、唐の文人・韓愈が「蓮花十丈藕如船」、つまり蓮の花は直径三十メートル、蓮根は舟のようだ、というのがシナ流だとすると、インドでは、はじめは車輪の大きさ、直径一メートルぐらいだったのが、大乗仏教になると三千世界より大きいなんてことになる。インド人は、現在の自然科学でいっているアトムとかクォークに至るような、細かいことは考えられないのね。「極微」、パラマーヌというんだけど、そういう物質のほうは、電子顕微鏡を使わなくても見えちゃうような大きさしか考えられない。ところが、大きいほうは限りなく伸びる。しかし、数学的な無限という考えは持てなかったんですね。変なもんだけど。

 さらに華厳経になると、ふつうのノートに書くくらいの大きさの算用数字を、宇宙の端から端まで書くとして、その一つ一つにマイクロフィルムが入っていて、そのなかにまたマイクロフィルムが入っているというのを何回か繰り返さないと表せない巨大数が出てきて、それを組み合わせたものが蓮の大きさとなる。蓮のなかに蓮が咲いていて、そのなかに海があって、そのなかにまた蓮が咲いている。そういう蓮を組み合わせたものが、華厳経の「華蔵世界海」。それまで、最大の数名称とされていた「数えられない」という意味の「阿僧祇」なんて、十の五十九乗で、華厳経がつくり出した、「アナビラーピヤ(不可説)」に比べたらクォークにあたらないんです。その「不可説」を組み合わせて、やっと華厳経の巨大蓮の大きさになるんですよ。

 だから現実的な造形はできません。ただ、そういう考えではあまりにもわかりにくいというので、たぶん、シナ人が作ったのが梵網経なんだ。毘盧遮那仏が乗っている蓮台、その蓮の花びらは千枚しかないけど、その一枚一枚に一人ずつお釈迦さまがいて三千世界があって、その一人一人が三千世界に教えを広めているというのね。これを千百億の世界といいます。シナでは最初、完全十進法だったから、一、十、百、千、万ときて、次の億というのが十万だった。しかし実用的に最大の数が十万じゃ足りないと、百万、千万と大きくされて、やがて億はわれわれのいう億を指すようになった。梵網羅での億は千万ですから、だからその数えかたで千百億です。

 百億といっても、千の三乗、われわれの十億なんですよ。仏教ではいちばん小さい世界でも何千万キロの直径があるといっていますけど、その世界が、アイスクリームのコーンのように上のほうへ行くと、千箇集まっていて、一小千世界と呼ばれている。で、小千世界がまた千個集まったのが二千中千世界。その上に三千大千世界というものがあるというんで、千かける千が百万、その十倍だから十億、つまり、それが東大寺の大仏の蓮台の花びら一枚一枚にあるわけだ。だから蓮の花びら一枚に十億のお釈迦さまがいて、それが千枚あるからシナの千百億。

 と、これは口で説明すればわかるでしょう。だけど華厳経の世界はわからないから、わかるようにと作った縮小版が、梵網経のなかに出てくる仏さま蓮台なんです。華厳経では、大きいものより小さいもののほうが大きい、小さいものより大きいもののほうが小さい、というような逆理もいわれていますが、これは数ではなく密度でいっているわけでね。

 インドは「幻(げん)」、中国は「文(ぶん)」、日本は「絞(こう)」の文化であるとしたのは、江戸時代、大阪の町人学者だった富永仲基の『出定後語』に出てくる有名な言葉。それぞれの文化的背景、文化を生み出す背後の力、というか状況を一語で表した言葉です。富永さんは、たしか三一ぐらいで若死にしたんだけど、一字に要約したのは相当に偉いと思う。

 「幻」の偏は「糸がしら」でしょ。細くて見えにくい糸の先が、機織り機からちょっとしか見えていないから、薄暗くてますます正体がわからない、というのが「幻」。「文」はもともと入れ墨のことですね。人間の身体を入れ墨で飾る、それで飾るという意味になった。「絞」は、糸を二本、くの字とその反対の形にしたものをまんなかで引っかけて、はさんでしぼる。この表現と、それぞれの国での蓮の捉えかたの違いか。まぁ、無理に当てはめようと思えばね。これがまたいろいろ、複雑なことがあって。

 お釈迦さまの時代のインドの人口が一億人ぐらいだったという統計があります。わたしはあまり信用していないんだけど、数千万はいたと思うのね。それでもインドとシナの人口で、当時の世界人口の半分。で、両方とも歴史が長いでしょ。産業革命以前は、おおかた農業と勤勉な労働に依存しているわけで、インドもシナも文化的生産性が高かったといえる。

 ただ、インドの場合、紙に書き写すより口伝えが多く、逆にシナはなんでも記録するという主義だから、人口も同じくらいでどちらも歴史ある国なのに、残る文献の量は十倍じゃきかないんじゃないですかね。シナのほうが多いわけ。文献の数からいうと、シナ、インド、日本と十分の一ずつ少なくなっている。

 シナ、インドという国土も大きく、想像力も発達している両国の影響がある上に、日本人の根性が小さいから、おそらく俳句というものが生じなければ、日本の蓮の文芸というものは、シナ、インドに比べて二流になったでしょうね。

 そして、ここで忘れちゃいけないのは、蓮に関して非常に優れたものを作っている朝鮮です。朝鮮ではシナや日本に比べて絵を描く人を高くみないのね。だから、文人はいても絵画は発達しなかったけど、陶器、磁器が発達した。シナの陶磁器も美術的に悪くないんだけど、後世あまりにも巧緻になるから、どうしても工芸と感じるものが多いのよね。朝鮮のものはヘタウマ、というか心にしみてくるところがあって、いまさら物なんか持ちたくないけど、何か一点というなら、わたしは朝鮮の陶器がいい。蓮ならたぶん、磁器より陶器のほうがいいもの、ありそうだね。

三千五百年の文化史

 日本では、蓮は暖かいところにありそうなイメージだけど、あんまり暑くないほうがいいんじゃないの。ヒマラヤのふもとにいっぱい蓮が咲いているという仏典が大変多いですね。インドは広いから、北に咲くのと南に咲く品種は違っているんじゃないかという気がしてね、そういうことはわりにつまんないことだから、特に興味を惹かれるでしょ(笑)。

 法華経の「妙法蓮華経」の蓮華は、本来は白蓮華で「プンダリーカ」といいます。プンダリーカ地獄というのがあって、プンダリーカを赤いとする経典もありますが、漢訳ではだいたい白いということになっています。それでね、赤い蓮を指す名前は百ぐらいあるんだけど、白い蓮を指すのは、ムンダ語から発生したらしいこのプンダリーカの他にはないわけね。シュヴェータ・パドマという語に代表されるように、白いという形容詞をつけた形はあるけど、一字で白蓮を指すのはプンダリーカしかない。

 パドマというのは、広い概念では蓮、睡蓮の全部を指します。さらに白いという概念までパドマに含ませることもできる。もっと絞りこむと、最後に赤い蓮が残るわけ。ところがプンダリーカには、色の修飾語がついている例は、ものすごく後にならないと出てこないんですよ。だから、プンダリーカといえば白い蓮に決まっていたんじゃないか。ある仏典の偈(げ)に「雪のように白いプンダリーカ」とあるように、北のほうではプンダリーカは白いと思っていたのか。あるいは、蓮を指す言葉が五百もあるのに、一つしかないというのは、白蓮華自体もともと少ないんじゃないか、などと思うわけですよ。

 紀元五世紀ぐらいから、セイロン島へ渡った坊さんが、セイロンの文献にメチャクチャな注釈をつけはじめるんです。花びらが百枚以上あるのがパドマで、百枚以下のものがプンダリーカだとか、白いのがパドマで、赤いのがプンダリーカだとかいうのが一番権威のある人の文章のなかに出てくる。だから当時は、インドでも、どこらへんかから南では、白い蓮はなかったんじゃないか、プンダリーカの実物を見ることがなかったんじゃないか、とも思えるんです。日本では、キリギリスとコオロギが逆さまになった例があるように、土地が広くて人間もたくさんいて、千年以上も経つと、仏教徒にとって重要なものでもひっくりかえるということがあるんじゃないか。

 蓮は、日本には仏教を通じて伝わったわけです。仏教というのは漢訳されたものが多くて、そこでデタラメなことになっているんです。シナ人が誤訳したり、そもそもシナに仏教を伝えた中央アジアの訳経僧が、ごく初期の時点から見てきたようなウソをついている。それが、たとえば法華経の解釈にも災いしているわけです。法華経は、外部の人間には簡単には理解できないように防衛装置がついた秘密経なのね。だから鳩摩羅什に しても世親にしても、法華経の真理はわかっていない。

 羅什の訳した法華経は、名文だけど原文に忠実ではないだろうといわれます。シナ語として通りがいいように書いたんだとか、勝手に足したんだとか、たしかに羅什の都合で変えたところもあるんだけど、基本的な事情はそうじゃないんですよ。つまり当時は、法華経の前にシナに入っていた何百というお経のすべてが、お釈迦さまの口から出たありがたいものだとされていたわけ。だけど法華経は、元来、法華経だけが真実だというものでしょ。ただ、法華経以外のお経は、聞く人が成熟していないから仮に説いたものだなんていったら、他の人が収まらなくなる。羅什は、その両方を成り立たせるために、法華経は大乗の一つだということにせざるを得なかったんです。そして直訳すれば「正法蓮華経」となるところを「妙法」としたのは……。

 いや、やめようや。蓮の話にしよう。日本人には白い蓮が特別に清らかなものに思えるだろうけど、インド人はそんなことを言ってはいない。インド人にとっては、別の意味で白蓮華でなければならなかった。地上の行者が太陽に向かって「あなたは天の領域のプンダリーカだ。願わくは、わたしをして地の領域における唯一のプンダリーカたらしめたまえ」というのが「ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド」という、古さでは一、二を争う代表的なウパニシャッドのなかにあるんですよ。

 つまり、法華経における白蓮華は、蓮華であると同時に太陽であったということ。仏さまを蓮華にたとえることや、太陽にたとえる例はいくつもあるんですが、一つの言葉で蓮華であり太陽であるとするのに、シンボリズムとしてプンダリーカを使うというのは非常に都合がいい。法華経という、ただ唯一真実の教えと、ただ一つの白蓮華、太陽。一と一の結びつきになっているわけね。そして、プンダリーカとは、唯一の法の開示者である日輪のごとき仏さま、と、こういう意味にならないとだめなんだね。

 もとをたどれば、エジプトの睡蓮のシンボリズムが東に渡って来て、インドで睡蓮から蓮に変わったんです。それから、メソポタミアの理想的なオアシスにおける「生命の樹」と、やがて一体化することになる。つまり、文明の極西から極東へ渡って行くなかで、宗教文学としての使命をだんだんに拡大したわけだけれども、やっぱりインド人の総合力がなければ法華経も、その土台すらなかったと、そういう気がします。

 こういうことをもれなく調べないと、こうだ、とはいえないわけね。それにこれまで生まれた何百億という人たちがやってきたことを、たかが百年も生きられない人間が一人でやろうと思ったって無理に決まってんだよね。ものを正確に究めるということはものすごく困難。そのうえ、火山のてっぺんがすっとんじゃったように、遡及してかなりのところまで調べがつくけど、最後のところが残っていない例があるでしょ。代表的なのが、お釈迦さまがなにをいわれて、どういうことをしたかということ。現存する一番古いお経を調べればわかるだろうという、その努力は尊いけれど楽観的なんだ。わかりっこないこと、だけど、やらなきゃならないことでわからないことが残っているのは、いやな感じだね。

 睡蓮を入れればもっと長いけど、蓮だけでも三千五百年ぐらいの文化史がある。彫刻や絵画にも残っているけど、主体である文献を読もうとすると、日本人の場合、漢文やサンスクリットができないといけない。梵語の文法だけなら一年やそこらだけど、文法なんてあってないような漢文は、できるやつでも十年はかかるし、その上で蓮が好きだから調べようってやつはいない(笑)。仮にいるとしても、親の代からよっぽどの金持ちか、よっぽど泥棒のうまいやつじゃないと続かないし、やれば必ず貧乏になるから結果的にやるやつがいない、と、そういう状況です。

 ま、だから、蓮がなくてもいいけど、あったほうが心豊かにはなる。蓮のこと調べていれば退屈しのぎになるし、借金のこともしばらく忘れていられるから(笑)。

初出:「彷書月刊」 二〇〇八年二月