連載

第1回
2017.9.1

どうなる「イスラーム国」消滅後の世界?

2017年7月14日、イベントバーエデンにて
田中真知=構成

1 啓蒙:人類と世界史の誕生

『帝国の復興と啓蒙の未来』
『帝国の復興と啓蒙の未来』
中田考/2017年7月

タイトルに「啓蒙」という言葉が使われていますが、啓蒙というのはイスラームの基本的な世界観です。啓蒙にあたる英語は enlightenment、つまり「光で照らす」という意味ですが、クルアーンでも、啓蒙は「光」の比喩で語られています。人々を闇から光のなかへ導き出す。つまり、イスラームは啓蒙の教えです。ここでひとつ断っておきたいのですが、イスラームは、預言者ムハンマドが創始した宗教だと考えられがちですが、イスラームの立場からすればそうではありません。アダム以来、モーセやイエスをふくめたすべて預言者が伝えたのがイスラームなのです。預言者たちはみな啓蒙を行っていたのです。

では、それぞれの預言者たちのちがいは何なのか。イスラームでは預言者の個性をほとんど重視しません。多少の進化はありますが、基本的には「一人の神に仕えよ」ということと、良いことをした人間は天国に行けるし、悪いことをした人間は地獄に落ちるというメッセージです。ですから、イスラームのメッセージは同じなのですが、イエスやムハンマドまでの預言者はイスラエルの民であるユダヤ人に遣わされているという意味で民族預言者です。そのため時代や場所や気候などいろんなものに制約され、「法」も時と場所によってちがう。

それがムハンマドにいたって人類全体がメッセージを伝える対象になり、またムハンマドをもって最後の預言者であるというメッセージが伝えられた。「法」もムハンマドのシャリーアという形で人類に普遍的なものになった。それがイスラームの考え方です。これは、もちろんイスラームの立場なのですが、大雑把に言って、世界宗教と言われるもの、イスラームの他に、例えば仏教とか道教とか儒教とかキリスト教などは、狭い意味の民族宗教ではない。ヒンドゥー教やユダヤ教や日本の神道が、特定の民族のためのものであるのに対して、全人類に対して通用する普遍的なメッセージであるということが、世界宗教といわれるものの特色です。

それは突然できたわけではありません。たとえばキリスト教はローマ帝国とむすびつき、仏教はアショカ王の時代といった帝国的なものと結びつくことで初めて「人類」を視野に入れた世界宗教が誕生します。哲学者のヤスパースは「軸の時代」という言い方をしています。これは紀元前6世紀とか7世紀とか、ソクラテスのような人たちが活躍した時代で、いわゆる人類という概念が成立した時代です。

アラビア語で宗教は「ディーン」といいます。それは一般的に「宗教」を意味します。仏教やキリスト教ではまだそうなっていない。宗教という言葉がないんですね。キリスト教には「レリジョン」とかという言葉はありますが、そこには魔術や邪教も含まれていません。ところが、イスラームにおいてはじめて多神崇拝や偶像崇拝をも含む普遍的な「宗教」という概念が出てくるのです。

クルアーンの中に「あなた方にはあなた方の宗教があり、我々には我々の宗教がある」という一節があります。ここで言う「あなた方の宗教」とは多神教です。つまり、宗教という普遍的な概念が存在し、そのなかに正しい宗教と間違った宗教、つまり多神教があるということです。いったん宗教というものを相対化する考え方が、イスラームにおいて初めて生まれたのです。

「啓蒙」の話に戻りますが、イスラームが啓蒙の教えであるというのは、イスラームの前後に、それまでの部族の意識を超えた人類世界というものを意識する段階に達し、私の言う「啓蒙の歴史」が始まった。全てに通用する普遍的な真理がある。それこそ人類の目指すべき道だという「啓蒙の理念」がイスラームにおいて始まるわけです。

もちろん先ほど言った通り、イスラームは預言者ムハンマドとともにはじまったわけではありません。キリスト教もまた啓蒙を自分たちなりにやって来た。それがムハンマドの時代からイスラームが中心になって世界への啓蒙を進めていくようになった。具体的にはアッバース朝の時代、イスラーム文明を地理的中心とする西欧、東欧、インド、アフリカ、中国をつなぐ世界ネットワークが形成されていったということです。

アッバース朝の勢力拡大図〈8世紀の世界〉

この時代、世界は東に中国文明(唐)があり、中央にサーサーン朝がペルシャ文明があり、西に東西に分かれてはいましたがローマ帝国、つまりキリスト教文明という3大文明がありました。新大陸はまだ発見されておらず、インドは統一性を失っていました。そこにイスラームが勃興してイラン文明が滅ぼされ完全にイスラーム化します。キリスト教文明も経済的、文化的に豊かだった南の方がイスラーム文明に含まれていきます。そして唐はタラス河畔の戦いで、アッバース朝イスラーム帝国に大敗を喫します。そのあたりが後のイスラーム世界と中国との境界線になっています。その後、唐とは貿易を通じて交流が生まれ、それが商業と学問のネットワークに発展していきます。

このようにして形成されたアッバース朝の世界ネットワークの地理的中心にイスラーム世界があります。このアッバース朝ネットワークをモンゴルが継承してパクス・モンゴリカ(モンゴルによる平和)の時代となり、そこに日本も世界に組み込まれていきます。14世紀にはモンゴル帝国の広大な領土は中国の元、そしてイル・カーン国、キプチャク・カーン国、チャガタイ・カーン国という3つのカーン国に分かれます。この3カーン国はイスラーム化します。

大雑把にいって、イル・カーン国はイラン文明、キプチャク・カーン国からはのちのロシア文明の揺籃期につよい影響を与えます。チャガタイ・カーン国を継承したティムールの子孫はのちにムガール朝を作ります。これがインド文明に大きく変わっていきます。つまり、ロシア文明もインド文明も大きなイスラーム文明に影響を受け、中国でも色目人とよばれた西域のイスラーム教徒であった人たちが文化や行政を担いました。こうして「フイフイ(回教徒)は天下にあまねく」といわれるほどイスラームが広まった。パクス・モンゴリカの時代にイスラームによる世界の一体化が起きたのです。

しかし、その後地理上の発見などもあって、キリスト教世界がイスラーム世界との差を詰めていって、新たなアクターとして世界の啓蒙へ乗り出していきます。それが近代までつづいてきたわけですが、現代、そうしたありかたが転機を迎えているのではないか、というのが私の大きな問題意識です。

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『帝国の復興と啓蒙の未来』

著: 中田考
カバー写真: 伊丹豪
発売: 2017年7月18日
価格: 2,750円(本体2,500円+税)
ISBN: 978-4-7783-1585-6
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プロフィール

中田考
中田考(なかた・こう)

一九六〇年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム教会理事などを歴任。著書に『イスラームのロジック』(講談社)、『イスラーム法の存立構造』(ナカニシヤ出版)、『イスラーム 生と死と聖戦』(集英社)、『カリフ制再興』(書肆心水)。監修書に『日亜対訳クルアーン』(作品社)。

撮影=野口博

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