連載

第1回
2017.9.1

どうなる「イスラーム国」消滅後の世界?

2017年7月14日、イベントバーエデンにて
田中真知=構成

3 地政学・文明論・国際政治

今度の本は長期的な世界の歴史から現代を見てみようというものなのですが、そのときに注意しなくてはならないのが、どのくらいのタイムスパンで見ていくかです。その場合、タイムスパンの見方には地政学と文明論と国際政治という3つがあります。これらはそれぞれ独自の力学を持っています。

地政学とは地域的な条件で、そう簡単には変わりません。長期的には森林が砂漠化したりという動きはありますが、基本的には動きません。地政学がタイムスパンが一番長い。次の文明論とは、文明の長さからの視点です。文明は地理的な条件ほどではないですが、少なくともひとつの文明は数世紀つづくものなので、結構タイムスパンは長いわけです。ところが、3番目の国際政治になると国民国家が単位なので、あっというまに変わってしまいます。タイムスパンが最も短い。つまり、地政学が最も長期にわたり、文明論が中期であって、国際政治は短期になる。

この3つは別々の論理と力学を持っているので、それぞれが違う動きをして、一見矛盾した動きを示します。今のヨーロッパやイスラーム世界は目まぐるしく動いていますが、その目まぐるしく変わる部分は短期の動きですね。つまり国民国家の利害関係によって動かされる部分です。たとえばシリア内戦によって、本来は敵対しあっているロシアとイランとトルコが結びつきつつある。ただし、これは一時的にです。そうした短期的な動きばかりに目を奪われていると、もっとタイムスパンの長い動きが見えなくなります。つまり、文明論や地政学の観点から見れば、国際政治的な目まぐるしい動きは一時的なものにすぎないことがわかります。

先ほど述べたように、3つはそれぞれに別々のメカニズムで動いているので、ひとつの部分しか見ていないと他が見えない。メディアは基本的に国家をアクターとする国際政治の短期的な視点からしか世界を見ていません。それだと文明論や地政学的な背景が見落とされてしまう。世界で起きている多層性や錯綜性を見て分析されなければならない、ということです。

4 イスラーム文明

私の専門はイスラームなので、イスラーム文明について少しくわしくふれておきます。イスラーム文明は、時間的に誕生や終焉の時点を明確に言えず、空間的な広がりも領域国民国家と違い明確な国境によって区切られておらず、同一文明内部でも成熟、衰退には時間差が存在します。たとえば、同じイスラーム文明と言っても、時間的にも地理的にも中核である中東のアラブと周辺にあるインドネシアとかアフリカだと大分違いがあります。

トインビーは、イスラーム文明をシリア文明(アケメネス帝国)の継承文明と捉えています。アケメネス帝国はペルシャですね。そこまで遡って考えているのです。ヨーロッパはシリア文明(アケメネス帝国)とは違います。つまりトインビーはキリスト教文明とイスラーム文明を別物として考えているんです。

これに対して三木亘さん(日本の中東学者)はむしろ西欧というのは一神教諸派の複合だといっている。つまり、キリスト教とユダヤ教とイスラームとの複合が西欧なのだといいます。基本的には地中海の周辺、つまり旧ローマ帝国が西欧であって、そこは基本的にはイスラームとユダヤ教とキリスト教という一神教の複合であるという。これはイスラームの世界観にも近いです。

おそらく、トインビーはヨーロッパ人としても特別に広い視野を持った人なので、彼の世界認識は普通のヨーロッパ人とはかなり違うと思います。普通のヨーロッパ人は、自分たちの文明の基盤はギリシャと聖書にあると考えますね。そこから考えるとイスラームは異端ということになりますが、少なくとも同じ文明圏にあり、兄弟文明であるという見方は、ヨーロッパでは一般的な見方のひとつだといえると思います。

日本の東洋学者の井筒俊彦先生は、ヨーロッパ文明というのはヘレニズムとヘブライズム、ようするに旧約聖書の伝統と、ギリシャの伝統を合わせたものだといえば、だいたいの骨格が出来ると言っています。実はイスラーム文明もそうです。

三木亘さんは、西欧がイスラームとキリスト教徒とかユダヤ教という一神教諸派複合であって、東洋(日本、中国、韓国)は、儒・仏・道教複合、南洋(東南アジア、南アジア)は仏教・ヒンズー教の複合と捉えています。これはそれなりに、東洋人の我々から見るとしっくりする部分はあるんですが、決定的に落ちるのがイスラームの部分です。特に南洋は仏教とヒンズー教といっていますが、これは明らかに違っています。南アジアのインドを統一したのはイスラームですし、現在でも人口の3分の1から4分の1はイスラーム教徒です。東南アジアでも人口的にいちばん多いのもイスラーム教徒です。これに対して、井筒俊彦先生はイスラームを東洋の宗教と見ています。

私はというと、イスラーム文明を、文明的一体性を認識しつつも、国際政治・地域研究では中核の中東と周辺部を区別すべきだと考えています。イスラーム文明は、東南アジアまで含めて考えないと見えない部分もあるのですが、特に中東は歴史的にも地理的にも現在に至るまでの流れからいっても、インドネシアとの関係よりは、ヨーロッパとの関係が強い。ですから、中核文明と周辺文明は分けて考える視点が必要だと思います。

過去にイスラーム文明はイランのサーサーン朝を組み込んでしまいました。今はイラン文明は独立の文明としては存在しませんが、独自のペルシャ・シーア派サブ文明として今のイラン文明はイスラーム文明の一部を構成しています。私はインドにもそうなる可能性があると思っています。実際にはそうなる可能性は低いでしょうが、そういうことも考えて世界を見ていくべきだと思います。

『リヴァイアサン』口絵
『リヴァイアサン』口絵
出典:Wikipedia/The frontispiece of the book Leviathan by Thomas Hobbes; engraving by Abraham Bosse

ただし現在の「世界宗教」はリヴァイアサンとマモンで成り立っています。リヴァイアサンというのは国家の比喩で、マモンは聖書にも出てきますけど、要するにお金です。つまり、国家と資本という2つが配偶神となって、国家崇拝と拝金教からなる現代の世界宗教をつくっている。現代では、どの文明圏も、この国家崇拝・拝金教の論理で動いています。イスラーム圏も例外ではありません。イスラーム教徒だからといってイスラームの論理で行動しているわけではない。その行動パターンは国家崇拝教徒、拝金教教徒だと思ったほうが分かりやすい。

現在「イスラーム」と呼ばれているものは、「国家崇拝・拝金教」の正体を覆い隠す仮面として、「領域国民国家システム」と「資本主義」の支配をイデオロギー的に補強する機能を果たしている。そういうふうに見ないといけません。今、「イスラーム世界」といわれている世界がイスラームの論理で動いているわけではないと考えることが、実はイスラームの論理で考える、ということなんです。それはなかなか、イスラーム学者以外には分かりにくいことなのですが。

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プロフィール

中田考
中田考(なかた・こう)

一九六〇年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム教会理事などを歴任。著書に『イスラームのロジック』(講談社)、『イスラーム法の存立構造』(ナカニシヤ出版)、『イスラーム 生と死と聖戦』(集英社)、『カリフ制再興』(書肆心水)。監修書に『日亜対訳クルアーン』(作品社)。

撮影=野口博

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