連載

第1回
2017.9.1

どうなる「イスラーム国」消滅後の世界?

2017年7月14日、イベントバーエデンにて
田中真知=構成

5 文明の再編

では、具体的にどのように文明の再編が行われていくのか。現代は、西欧(とアメリカ)の長期的衰退、非西欧文明の担い手であった近世の世界帝国の継承国家(ロシア帝国、オスマン帝国、清帝国、ムガール帝国)による文明の再編の時代であると、大雑把に言えると思います。この本の序文には、次のように書きました。「西欧の覇権の衰退は不可逆であるが、西欧文明は今なお世界を動かしており、文明の再編の成否は、まず諸文明圏における「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることが出来るか、そしてそれを西欧(あるいは西洋、欧米)にフィードバックすることが出来るか否かにかかっている」。

西欧の文明の再編がうまくいくためには、「我々は独自なんだ。西欧は間違っている」と言うんじゃなくて、まずそう言っている自分の中にある「内なる西欧文明」の批判的克服を成し遂げることが重要です。「イスラーム国」の人たちは、自覚的に西欧文明を否定して自分たちは純粋なイスラーム文明だと言っていますが、われわれ古典学者から見ると、あれは西欧的なんですね。西欧的に動いていますので。そこをしっかり克服できるかどうか、それが成功の鍵だと思います。さらに、それを西欧の人たちにも分かる論理でフィードバックすることが必要です。文明の再編とは世界を征服することではありません。世界との関係性を保たないといけないのですから。完全な理解はお互いにできませんから、ある程度のことを納得させてフィードバックさせられるかが重要になってくるのです。

6 地政学

西欧が世界を征服するきっかけになったのは、地理上の発見です。スペイン、ポルトガルのような国家が世界の覇権を握り、以来オランダ、イギリスのような海洋国家が世界の覇権を握る。これが過去5世紀近くにわたって続いてきました。ところが、21世紀には、その海洋国家の覇権が大陸国家へ移ると考えられます。

海洋国家のイギリスは、第一次、第二次世界大戦のころまで世界の覇権を握っていた。それを継承したのがイギリスから独立したアメリカでした。フランスやドイツやロシアがそれに対抗しようとしてきましたが、基本的には海洋国家が勝っていた。その覇権が今、再び大陸国家に移ろうとしています。そのことを今の覇権国家であるアメリカもひしひしと感じています。

グレートゲームといわれる歴史的な抗争があります。これは19世紀から20世紀にかけて、アフガニスタン周辺をめぐって当時の覇権国家・海洋国家であったイギリスと大陸国家であったロシアが争ったことをさします。当時イギリスの生命線は植民地だったインドでした。イギリスはアフガニスタンがロシアのインドへの侵攻の拠点となることを警戒していました。ロシアとしてはもともとあったキプチャク・カーン国とチャガタイ・カーン国の継承国家を植民地化し、アフガニスタンを植民地化し、さらにブリティッシュラジャになっているムガール帝国を征服して太平洋まで領土を広げ、それで世界を征服しようと考えていました。

このときは最終的にイギリスが勝ちましたが、いままた新しいグレートゲームがはじまっているといわれています。新しいプレイヤーとして加わったのが中国とロシアです。中国は陸のシルクロードと海のシルクロードの両方のルートを通って世界へ広がっていき、ユーラシア全体を支配しようという動きを見せています。ロシアも同じように、旧ソ連圏をもう一度ロシア帝国として復活させようという動きを見せています。しかし、そこにはもうひとつ、隠れた主役がいます。トルコです。

シルクロードの主要なルート
シルクロードの主要なルート
出典:Wikipedia

最近、サウジアラビアとUAEとエジプトが組んで、カタールを潰そうとしています。しかし実は本当に潰したいのはカタールではなくてトルコです。今、トルコはイスラーム世界のなかでアラブのほとんどの国を敵に回しています。イランとロシアとは今、戦略的に国家レベルでは組んでいます。地政学レベルや文明的論レベルでは元々大敵なわけですから本当は潰したいと思っている。これでヨーロッパが本気でなれば本当に潰れます。そうなるとトルコは内戦化して、シリア以上の惨状になるでしょう。数千万単位のトルコからの難民がヨーロッパに押し寄せます。そうなるともう止められません。

7 「イスラーム国」出現の背景

「イスラーム国」出現には2つの背景があります。1つが世界的な話であって、2番目がイスラーム世界内部での話です。世界的な話から言うと、「フランス革命以来のヨーロッパの植民地支配における民族主義とヒューマニズムの矛盾」があります。フランス革命以前と以後との大きなちがいは「西洋文明こそ文明である。だからおまえたちを滅ぼす」という考え方が生まれたことです。

フランス革命では、人類は一つであって平等であるという理念が唱えられた。しかし現実には、あれはフランスによるヨーロッパ支配でしかなかった。そのことは当人たちは分かっていたからフランスのナポレオン戦争は失敗しました。フランス革命の時点で矛盾が明らかだったから、結局旧秩序に戻ってしまったのです。理想としてヒューマニティを掲げていても、現実は個別の国家の利益追求でしかない。このような矛盾を打ち壊す。そのために国境を廃絶して領域国民国家システムを打破しなくてはならない。それが「イスラーム国」の主張であったわけです。

では、イスラーム内部にはどういう背景があったのか。それはシーア派の台頭です。20世紀後半からシーア派が伸びてきて、スンナ派がどんどん押されています。イラン・イスラーム革命もそうですし、イラク戦争がきっかけとなってバグダッドがシーア派の手に落ちたことで、シーア派がこれまででもっとも力をつけることになりました。これがいかに大きな意味を持つか日本にいると、なかなか分かりません。

イラクではもともとスンナ派が少数派でした。ただサッダーム・フセインは自分たちがスンナ派であることを前面に押し出してイラクを支配していたわけではありません。それが変わったのは湾岸戦争です。それまでたんなる世俗主義だったサッダームが、湾岸戦争以後、スンナ派として支配するようになります。しかし、イラク戦争でサッダームの息のかかっているスンナ派勢力がアメリカによって一掃されてしまうと、サッダームに追われてイランに亡命していたシーア派がバグダッドに戻ってきて力をもった。

バグダッドはイスラーム・スンナ派の黄金時代であったアッバース朝の首都であり、イスタンブール、カイロ、ダマスカスなどとともにイスラームの中心地でした。シーア派の一番の聖地で学問の中心地でもあるナジャフとカルバラーもバグダッドの周辺にあるのですが、基本的にはずっとスンナ派の手に握られてきた。ところが、それが初めてシーア派に取られてしまったという大変な事態が生じてしまったのです。さらに、シーア派宗教学者のリーダーシップによってシーア派の結束は強くなっています。

対照的に、スンナ派は多数派ではありますが、まったくまとまりがありません。最近はサウジアラビアと共にカタールに対する包囲網を作っているUAEの王族が人身売買で捕まっています。これまでにもいくらでもそういうことはあったのですが、すべて金の力で黙らせてきました。しかし、そんな腐りきったスンナ派の世界が分裂を繰り返している間に、どんどんシーア派にイスラーム世界が征服されている。それに対する抵抗というか危機感のなかで「イスラーム国」が出てきたわけです。

まとまってきたシーア派に対してどのように対抗するか。それにはスンナ派のカリフ制という正しいイスラーム法を認める政党政権を復興するしかない。それが「イスラーム国」誕生の背景にあります。

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プロフィール

中田考
中田考(なかた・こう)

一九六〇年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム教会理事などを歴任。著書に『イスラームのロジック』(講談社)、『イスラーム法の存立構造』(ナカニシヤ出版)、『イスラーム 生と死と聖戦』(集英社)、『カリフ制再興』(書肆心水)。監修書に『日亜対訳クルアーン』(作品社)。

撮影=野口博

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