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撮影=あさみあやこ

『年収90万円で東京ハッピーライフ』の著者・大原扁理さんは、昨年秋から台湾へ移住して「隠居」生活を実践中だとか。そんな大原氏が久しぶりに帰国したというので、前から会ってもらいたかった小池龍之介氏(月読寺住職)と対談していただきました。「世間からは一定の距離を取って生きる」と若くして考えたおふたりが語る、お金とは? 幸せとは? 死とは? たいへん興味深いお話をうかがうことができましたので、ぜひお読みください。

「私」はなくても大丈夫

【対談】大原扁理×小池龍之介

【対談】大原扁理×小池龍之介

小池 大原さんは、「隠居」っていう言葉の定義を、どんなふうに考えておられるんでしょうか。

大原 定義といってもなかなかぼんやりしているので、これが正しいという話ではないんですけど。私の場合は、社会とは生きていくのに必要な最低限だけつながっておいて、あとはなるべく気ままに暮らす、っていう感じですね。具体的な数字で言うと、20代半ばから6年間、基本的に週2日間だけ働いて、年収100万円以下でやりくりして暮らしています。人によっては、隠居=老人、完全にリタイアした人、というイメージがあるみたいで、「おまえは隠居じゃない」とかたまに言われますけど、まあそれはそれで。

小池 そんなこと言われることもあるんですか?

大原 ありますね。

小池 ちなみにどんな人がそれを言っているんですか?

大原 直接お会いしてないんですけど、web上なんかでコメントが目に入ってしまうことがあります。私がその人の考える「隠居」のイメージとかけ離れているか、そもそも私の生活自体を信じないか。「嘘なんじゃないの、週休5日で生きていけるわけがない」って。そのどちらかが多いですね。

小池 先ほどお話した前島に、前々から知り合いだった大工さんがいて、仕事をよくお願いしているんです。こないだ、「あなたは家が仮に壊れても、すぐ自分で建てられるから気楽でいいですよね」って言ったんです。そうしましたら、その方が「いや、私は本当は家とか要らんと思っちょるけえ。妻と子供がおるけえ、今はしょうがないから家に住んじょるけど、中学校のとき、洞窟に趣味で住んでたし、できれば将来は世捨て人になって洞窟に住みたいと思っちょるから。地震で壊れたらそのまま洞窟に住むけえ、ええです」って。まあ最初、冗談で言ってるのかなと思ったんですけど、話を聞いているうちにかなり本気なので、ものすごく意気投合しました。

大原 おお(笑)。

小池 5年後ぐらいに、その方も前島に来て、山奥の洞窟に住む、みたいな話をしていて。その方は物質的なというか、物理的に距離を取って篭もる、物理的世捨て人で。私たちのような仏教に携わる人間は、物理的というよりも精神的な世捨て人、という感じでお友達になりました。精神的世捨て人というのは、社会の真っただ中に生きていても、世間的な「好き」とか「嫌い」とかに染まらず、安らいでいる生き方なのです。言わば、精神の無人島ですね。

大原 私も社会から離れたいと思っているので、物理的な隠居に近いと思いますけど、要は都会にいても隠遁的な生き方はできるっていうことですもんね。精神的には。

小池 そうですね。でも大原さんの隠居生活もなかなか親しみを感じますよ。私が十数年前に送ってた生活と相似形のようでもあって。

大原 それで、あの、私は今「隠居」ってことで世の中に出ているという、ちょっと特殊な状況にいるんですけど(笑)。「隠居」って言葉は、世の中に対してひとことで説明できて便利だから使っているんです。でも、まあ別に「隠居」じゃなくてもいいかな、と本心では思っていて。というのは、だって、明日隠居したくなくなるかもしれないじゃないですか。

小池 そうですね。

大原 なんか、いざ本を出して「隠居」って肩書が広まり始めたら、すでにちょっと重いというか。自分が固定されてしまうような気がして、あんまり快適じゃないなーと思っているんです。だから、平たく言うと自分探しみたいなこともそうですし、世間の人が地位とか、モテ度とか、貯金がいくらあるとかっていうアイデンティティ、つまり「これこそが自分である」っていう何かを求めたり、必死になって守っているのを見ると、大変そうだなーって思ってしまうんです。

小池 そうそう、大変なんです。

大原 実際、大変ですよね。なのに、なんでそこまでアイデンティティを求めるんでしょうか?

小池 それは、いないからです。

大原 いないから?

小池 「私」っていうのが。

大原 「私」がいないから……?

小池 「私」なんて本当はいないのですが、脳みそがそういうふうに勘違いするように作られているんです。なぜかというと、そういうふうに作られているほうが、人それぞれ、「私」が好きなことをどんどん追求したり、「私」が不快感を感じたりして、普通では考えられないエネルギーで動くことができるんです。

大原 なんでわざわざ、そんなことにエネルギーを使わなきゃいけないんでしょうか。

小池 まあこれは私の大ざっぱな推論なんですけど、そういうふうに脳が作られてることによって、より暴走しやすい人が激しく動いて、その結果として種を残して……。

大原 あー、なるほど。

小池 生き物としての主たる関心は種を残すことで、必ずしも一人ひとりの幸せではないので。

大原 だから鮭とか、ぼろぼろになるまで川を登って、産卵のために帰ってくるんですね。私だったらめんどくさいから海で産んじゃいますけど。

小池 そう。たぶんそういうことなんじゃないですか。

大原 そうか、生き物には個人の幸せより、種の幸せがデフォルトの設定として備わってるんですね。人間も鮭と変わんない。

小池 でも瞑想してよーく調べてみると、「私」っていうものはいないんですよ。

大原 「私」なんて、ないならないで、それでいいかなと思いますけどね。

小池 瞑想の生徒さんたちでも、本当にそのことがわかりはじめてくると、一瞬怖さを感じる人はけっこういるんです。脳っていう牢獄に「私」が閉じ込められている状態から脱出しようとすると、まるでアラームが鳴るみたいに「脱出すると怖いことが起きるぞ」と脅すんです。

大原 実際、怖いことが起きるんですか?

小池 起きません、本当は。

大原 ただ、脳がそういうふうに作られてるっていうだけなんですね。それは良かったです(笑)。


〈プロフィール〉

大原扁理

1985年、愛知県生まれ。2016年秋より台湾在住。高校卒業後、3年間ひきこもり、海外ひとり旅を経て、現在隠居生活6年目。著書に『年収90万円で東京ハッピーライフ』『20代で隠居 週休5日の快適生活』

小池龍之介

1978年、大阪府生まれ。月読寺住職。東京大学教養学部卒業後、2003年にウェブサイト「家出空間」を立ち上げる。『考えない練習』 『超訳ブッダの言葉』 『こだわらない練習』 『貧乏入門』 『しない生活』 『平常心のレッスン』など、著作多数。