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MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための「ガンプラ革命」

『MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための「ガンプラ革命」』 著:あさのまさひこ

価格

2,970円
(本体2,700円+税)

判型

A5

ページ数

248ページ

ISBNコード

9784778316235

搬入年月日
[?]

2018.5.16
※各書店・ネット書店により、購入可能となる日は異なります。

書籍の説明

あれは確実に「事件」だった。
あの「夏の日々」からじつに35年が経過した現在、初めて紐解かれる「MSVとは何だったのか」というドキュメント。バンダイ製MSVプラスチックモデル完成品&ボックスアートも完全収録。

【プロローグより】
モビルスーツバリエーション、その頭文字を取って『MSV(エムエスブイ)』と命名されたこのプラスチックモデルオンリー主導型企画は、数奇な運命を辿りつつ83~84年にかけて一大ブームを巻き起こすに至る。バックボーンとなる映像作品を持たず、主にモビルスーツのデザイン画と文字設定(機体解説と戦記)だけで展開された脆弱な企画が日本全国の小学生~大学生に圧倒的な支持を得たというのは、言うなれば「世にも希な一大事件」であった。(中略)本書はその「事件としてのMSV」を、なるだけ過大評価することなく、同時になるだけ矮小化することなく、可能な限り客観的に書き綴ったドキュメントである。

【もくじ】
プロローグ~「ウッドストック・フェスティバル」としてのMSV

第一章 MSV誕生前夜(1980年2月~1982年3月)

劇場版ガンダム第一作目が公開され、ガンプラブームが社会現象と化した81年春。その後、MSVのプロデューサーと化す安井尚志が企画・編集を手がけた『劇場版 機動戦士ガンダム アニメグラフブック』(講談社/81年4月15日発売)に、大河原邦男の手によるザクバリエーション画稿4点が掲載された。これがモデラーを中心に大反響を呼び、安井は敏腕モデラーユニット“ストリームベース”(小田雅弘、川口克己、高橋昌也。のちにMSVの企画と製品化にも大きく関与していく)の意見を参考にしつつ、同様の手法にて大河原に続々とモビルスーツバリエーション=MSVを描き起こさせていく。

ときをほぼ同じくして、ガンダム世界を真意のサイエンスフィクション視点にて解体~再構築した歴史的名著、OUT増刊『GUNDAM CENTURY 宇宙翔ける戦士達』(みのり書房/81年8月20日発売)が出版に。この中に“スタジオぬえ”らによるザクバリエーションの詳細な創作設定(文字設定)が掲載されたのだが、安井と小田は同設定に積極的に「乗る」ことでMSVの大枠を創作していくことになる。

第二章 「ゼロロクアール」の衝撃(1982年3月~12月)

安井とストリームベースはSFプラモブック1『機動戦士ガンダム REAL TYPE CATALOGUE』(講談社/82年3月5日発売)にて、ガンダムセンチュリー内で文字設定が起こされたMS-06R ザクⅡ、通称“ゼロロクアール”を大河原に描き起こさせた。同機は「ドムに搭乗する以前に黒い三連星が乗っていたザクの改良発展型高品位機」で、アニメでは絶対に作画することが不可能なメカニック感剥き出しの高密度&リアリティー溢れるデザインが爆発的な人気を博することになる。直後の82年4月25日に発売された、売れに売れまくった伝説のガンプラ作例集『HOW TO BUILD GUNDAM 2』(ホビージャパン刊)にそのゼロロクアールの1/100フルスクラッチビルドモデルが掲載され(モデル製作はストリームベースの小田が担当)、ゼロロクアールの人気は決定的なものとなった。

そのころバンダイはすでにすべてのMSを製品化し切ってしまい、4種の水陸両用MS(アッグ、アッグガイ、ジュアッグ、ゾゴック)までをも製品化することに。こうした状況を的確に把握していた安井は自らが編集を手がけていた月刊児童漫画雑誌『コミックボンボン』(講談社)を使い、MSVの人気を高め、バンダイがMSVの製品化に乗り出すような仕掛けを続々と繰り出しはじめた。

第三章 製品化開始、そして連勝に次ぐ連勝(1982年12月~1983年6月)

コミックボンボンとバンダイのPR誌『模型情報』の83年1月号にて、ほぼ同時にバンダイによるMSVの製品化が発表になる。シリーズ第1作目は、当然ながらの1/144 MS-06R 黒い三連星仕様ザクⅡ(83年3月発売)。MSVは発売直後から大いに売れまくり、信じ難いペースにて続々と製品化されていく。MSVの機体設定と戦記はストリームベースの小田の手に委ねられ、そのリアリティー溢れる設定と兵器感の高いデザインにハイティーン以上の年齢層が飛び付いた。「アニメよりも断然リアル」。これがMSVを評す合い言葉と言えた。

また、安井によるコミックボンボンを使ったMSVの人気アップ作戦(メディアミックス戦略)は加速的に度合いを高めていき、小中学生のあいだでも一大ブームに。その結果、MSVは「バックグラウンドとしての映像作品を持たない」というデメリットをまるで感じさせない快進撃を続けていくことになる。

第四章 生じるべくして生じた「弾切れ」(1983年7月~1984年9月)

快進撃を続けるMSVだが、生じるべくして生じた問題が発生する。人気の高いMSVをほぼすべて製品化し切ってしまったのだ。もちろん、新たな設定と機体デザインを起こすことはできるが、リアリティーが高いものでない限りMSVという作品としての世界観が崩壊してしまうため、迂闊な真似はできない。

さらに、時間経過から生じる「ユーザーの飽き」という問題と、リアルロボットアニメとそのプラスチックモデルブームが沈静化しはじめた問題が重なり、MSVシリーズの売り上げは一気に半減。MSVの人気と製品化はジリ貧の様相を呈しはじめる。だからといって、バンダイ的にはMSV、というよりはガンプラというタイトルの製品化を打ち切りたくなかった。そこでバンダイはいよいよ「禁断の決断」に至る。その決断とは……。

第五章 「ガンプラ革命」終焉の刻(1984年10月~1985年10月)

そもそも映像作品を持たないというウィークポイントに加え、R/Cブーム、ファミコンブームが追い打ちをかけた結果、84年12月、MSVは34作目となる1/100 RX-78 パーフェクトガンダムをもってシリーズ展開が打ち切られた。シリーズ最終作が『プラモ狂四郎』に登場した子供向けの創作ガンダムとなってしまったのが皮肉な話だが、本来ならばマニアのお遊びの領域を出るはずがなかったMSVを製品化へ至らせ、それを買い支えてくれた小中学生へのリスペクトの姿と捉えればそれもまた美しい光景であった。

そして、85年3月2日からいよいよZガンダムのテレビ放映がスタート。MSVとMS-Xは、その劇中(第10~13話と第18話)にやや強引な展開でゲスト出演を果たす。それを見たMSVファンたちは歓喜の声を上げたのかと思いきや、じつは……。こうしてZガンダム劇中に登場したことにより、よくも悪くもMSVとMS-Xは「ガンダム正史」に組み込まれることになった。そして同時に、同時期におけるMSVを巡る一連の一大事件たる物語は、このことをもってついに完結へ至るのである。

特別企画その1
OUT増刊『GUNDAM CENTURY 宇宙翔ける戦士達』編集長
大徳哲雄インタビュー

ガンダムセンチュリー内で創作したMSの設定を、MSVに「無断借用」されたことに対し、同書籍の編集長であった大徳哲雄は当時どういう思いを抱いていたのか? いま現在はもちろん、当時から「MSVはガンダムセンチュリーの創作設定を無断借用していた」という事実をきちんと把握している(していた)人は皆無に等しいわけだが、ガンダム&ガンプラ史上における明らかな失策の背景を真摯に解き明かすと共に、なぜこの一件が揉めごとへ至らなかったのか、大徳らが問題視しなかったのかを紐解く。

特別企画その2
1/144 MS-06R 黒い三連星仕様ザクⅡ 設計担当
元バンダイ 村松正敏インタビュー

記念すべきガンプラシリーズ第1作目たる1/144 RX-78 ガンダムの設計者であり、バンダイのエース設計者であった村松正敏。とりわけザクの設計に多大なこだわりを持ち、1/144、1/60、1/100、1/72……と複数のザクモデルの設計を手がけたため“ザク松さん”のニックネームを有していた村松は、当然のようにMSVシリーズ第1作目となった1/144 MS-06R 黒い三連星仕様ザクⅡの設計も担当した。「超傑作」と誉れ高い1/144 MS-06R・通称ゼロロクアールは、いかにして生まれたのか? それ以前のザクモデルとは明らかに異なる「とある特徴」の秘密を解き明かすと共に、複数のザクモデルの設計に費やした思いを尋ねる。

エピローグ~加藤智さんへ向けた、ちょっと長めのあと書き

MSV全ラインナップ34

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