クイック・ジャパン編集部ブログ

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QuickJapan77号Perfume特集おまけ座談会 4

2008.4.25

QuickJapan77号Perfume特集おまけ座談会
夢はまだまだ終わらない!――Let's talk about Perfume&GAME! 4

 前回はニューアルバム『GAME』をについて語り合った座談会ですが、もちろんあれだけで終わるはずがなく、それどころか三人の話はさらにヒートアップ。「解釈」と「妄想」の狭間をさまよいつつ、今回はアルバムの話から、中田ヤスタカの書く「詞」の世界へ踏み込みます。

◆第四章 中田ヤスタカという「詞」

さやわか(ライター)×吉田大助(ライター)×藤井直樹(本誌編集長) 記録係:増田桃子(編集部)

■「マカロニ」はセカイ系を超えている!?

吉田 『GAME』は中田さんが自分とPerfumeの関係性とか、Perfumeとオーディエンスとの関係性を、恋愛的に再解釈して歌詞にしてると思うんですよね。記事では「マカロニ」の歌詞絡みでかしゆかにその話を振ってみたんですけど......。
藤井 かしゆかが素直に驚いてるのがいいですよね(笑)。マジで初めてだったんだろうなあっていう、驚きのあまり出た「初めて指摘された!」ってあのリアクション(笑)。
吉田 でも、もちろん普通の恋愛風景にも読めるところが面白くて。Perfumeの歌詞って、アツアツじゃなくて倦怠期っぽいのが多くないですか(笑)。僕は「マカロニ」を聞いた時に、ピチピチした恋愛じゃなくて大人っぽい恋愛だなと思って......。
藤井 えっ、ちょっと待って。僕には「マカロニ」が「世界はあなただけ」っていう、恋愛が始まったばかりの歌に聞こえますよ?
吉田 アツアツさが変わって、あなたの存在が不可欠になってるっていう状況になってるんじゃないかなと。付き合いたてのアツアツさよりは、ちょっと落ちついてません? 僕はなんなら青山テルマ的長距離恋愛で、結構久しぶりに公園デート、みたいな感じがしますけど。
藤井 いや、そうじゃなくて、この感じをキープすることが何よりも困難だっていうことを知っている曲だと思う。いつでも会ったらドキドキしていられるような関係をね。だから、<これくらいのかんじで いつまでもいたいよね>っていうのは倦怠期の表明ではないんですよ。<名前を呼び合うときに 少しだけ照れるくらい>とかさあ......これ、ちょっとすごいことですよ。
吉田 分かりますけど、100%ドキドキじゃないですよ。えっ、でも、付き合いたてなのかな。zadan_macaroni.jpg
藤井 というか、出会った時の瞬間のきらめきを持続したまんま、いつまでもいたいっていうのを言い換えたのがこの歌詞でしょう。だって<マカロニ>ですよ? <ぐつぐつ溶けるスープ>ですよ? 自分とあなたがぐつぐつ溶けあってる、大切なのはその冷めないままで「ぐつぐつ」っていう状態なんだ、と。
吉田 冷めてはいないと思うんですけど、ドキドキが100%っていう付き合いたてとかじゃないんじゃないですかね。1年は経ってますよ。
藤井 いや、おい、ちょっと(笑)。
さやわか じゃあ、せっかくなので僕の感想も(笑)。僕は「マカロニ」という曲はシングルで出たときに最初なんとも思わなかったんですよ。「Baby cruising Love」は冒頭から愛だ恋だという歌詞で、切ない系的なカップリングだよねくらいに思ってたんです。でもこれをアルバムトータルで中田ヤスタカの歌詞が何を言っているのか、ということと照らし合わせて考えると、初めてどんな面白さのある曲か分かったんです。これはつまり、いわゆるセカイ系を超えていってるんだ! と思いましたね。
吉田 どういうことですかそれは!
さやわか この歌では、相手のことは分からないんですよ。最終的には分からない、他者には到達できないんです。僕はこのアルバムの歌詞をフリッパーズ・ギターと比較して聞いてたんですけど、彼らは「分かりあえやしないってことだけを 分かりあうのさ」と言っていて、90年代においてはその諦観に達して絶望するのが若者の姿だったんですよ。他者と分かり合いたいと思えば思うほど、分かり合えないことがはっきりする。だから『エヴァンゲリオン』のラストでは嗚咽を漏らしながら大好きな他人の首を絞めることになる。そしてそういう煩悶を続ける自分たちは「気持ち悪い」、というのが90年代の絶望だったんだと思うんです。

■「たぶん」って、すごい確信的な言葉なんだろう

さやわか 90年代に「わかりあえない」ことが絶望になったんですが、ゼロ年代の前半には個人が世界のあらゆる謎と向き合えないことがクローズアップされた「セカイ系」に到達する。でも「マカロニ」はそれをさらに超えて<わからないことだらけ でも安心できるの>って言うんです。これは90年代のフリッパーズ・ギターやその後のセカイ系と、似ているようで全く違うことを言っている。世界には謎があり、あなたには謎があり、しかしその謎は別に解かれるのを待っているわけではない。結局、あなたのことは分からない。私のことも、あなたは分からない。誰も、誰かに到達できないし世界には解けない謎がたくさんある。でも世界とはそういうものだと理解しているから、世界がそういう姿をしていることにこそ安心感を覚えているんです。あなたは謎のままディスコミュニケーションでいいんだと、そういうことを歌ってるんですよね。
藤井 あえて「わからないこと」を認めるのは同じだけど、そこから世界へ向けての感情が決定的に違う、と。
さやわか ディスコミュニケーションって寂しいねっていうのが90年代のモードだったと思うんですよ。でも、「マカロニ」を聞いていたらこれは違うなって気づいたんです。それで改めて『GAME』の歌詞を振り返ってみると、全部ディスコミュニケーションなのが当然で、相手のことが分からないのはもう大前提だから、むしろそれが気持ちいい、その関係性も一つの「ゲーム」だっていう歌になっている。だから中田さんを「オシャレな音楽を作る」という文脈で渋谷系の流れにあるかのように位置づける人がいるんだけど、つぶさに見ると彼は「ディスコミニュケーションの絶望を感傷的に描写する」という90年代的なセンスに基づいたオシャレさは一切使っていない。
藤井 なるほど。だからこそ歌詞の終盤に<最後のときが いつかくるならば それまでずっと キミを守りたい>って言葉になるんだってことですね。最後のときが絶対来ないなんて言えない、そのことについては約束なんてできないし、することでもない、だけど──っていう。zadan_75_2.jpg
さやわか あなたのことが分からないから「さようなら」ともならず、分からないままで、終わる瞬間まで一緒にいられるってことは素晴らしいことだよねっていうんですね。
藤井 歌われている情景は、ひょっとしたら吉田さんの解釈もアリなんですよ。だって恋愛は始まりも終わりも、「好き」って気持ちが中心だから。恋愛の終わりを「嫌いになった」なんて簡単に片づけちゃう人がいるけど、そうじゃなくて、実際は「好きじゃなくなった」ってことですからね。でも、やっぱりここで歌われている感情は恋愛のごく初期の、相手のことも自分のことも何一つ確かなことなんか無いのかもしれないけど、でも一緒にいたいっていう、<わからないことだらけ でも安心できるの>っていう、その気持ちだけをポンと取り出して歌ってる気がします。これ、コンマ何秒の世界です、実は。その気持ちのままいられたら一番素晴らしいですっていう、一人称の"です"の歌なん"です"!
吉田 熱い"です"!(笑)
さやわか あははは(笑)。でも、ホントにそういうアルバムなんだなと思いましたよ。90年代的なセンスだと<最後のときが いつかくる>っていうところがもっともクローズアップされたはずなんです。でも中田ヤスタカはそういうことを言わない。「いずれ終わるよね」っていうことが諦観とかシラケみたいなものに繋がっていない。
藤井 「ポリリズム」もそういうことでしょうね。
さやわか 「ポリリズム」もそうだし「シークレットシークレット」もそうなんですよ。<足りないよ キミを知りたいの>っていうのも、その気持ちは90年代では結局到達できないという意味でただ空転していたんだけども、今は「もっと相手を知りたい」という気持ちの強さとかエネルギーが素晴らしいことだって語られる。
藤井 それが<たぶんちょうどいいよね>っていう言葉で「マカロニ」では表れてるんだけど、「たぶん」ってあやふやな感情じゃなくて、すごい確信的な言葉なんだろうな。
さやわか そうそう。だから、「確実なこと」はもう、どうでもいいよと。「たぶん」でいい。あなたがいて、私がいて恋愛してますよ、それって素晴らしいことだよね、という。

■ラブソングで別の歌詞世界を開いている

吉田 いや、これは勢いで倦怠期という言葉を使った僕が悪かったです!(笑) でも、いまの話を聞いてると、僕も感想は一緒なんですよ。さっき、かしゆかの話で出した、100%の主体性というか、自分のことを100%分かるのが幸せでそれがアイデンティティとかじゃなくて、自分には自分では解けない謎が何%かあるし、その謎を解く鍵、というよりも謎自体を他者が持ってる。逆もまた真なりで、その認識を持つことっていうのが、Perfumeが持ち得ている、Perfumeの画期的な部分なんじゃないかと。
さやわか 相手に対する想像力をちゃんと発揮するのは素晴らしいことだねって。そこが僕は本当にいいと思うんですよ。
吉田 聞いててすごいポジティブになりますよね。これは「『世界に一つだけの花』が何故いけなかったのか問題」にも繋がっていて、この曲は人々を肯定したとされるわけですよ。人それぞれでいいってことをゼロ年代的に肯定した。でもそういう肯定は「花が一つだけ」ってことさえも限定しかねないわけです。そうなると逆に、じゃあその一つは何なの? どこにあるの? 知ってなきゃ幸せになれないの? って疑問が起きる。一つだけしかない花が見つかるか見つからないか、咲かせるか咲かせないかっていう考えは、結局のところ「100か0」の二分法でしかない。だからあの曲によって気持ちが上がった人もいれば、精神的にどんよりした人も結構いる。
藤井 「世界に一つだけの花」が嫌いって人は意外に多いですよ。良い曲なんですけど「うんざりする」って。
吉田 結局「本当の私」探しかよ! みたいな。ところがPerfumeがやってることは100%の主体性、100%のコミュニケーションみたいなものを疑って、相手と他人との間の部分、自分を相手にゆだねる部分があるし、相手が自分にゆだねてくる部分もあるぞと。その状況へのポジティブさが貫かれてると思う。zadan_amu.jpg
さやわか ほんとそういう歌詞ばっかりなんですよ。このアルバム、最終的には「分かんないんだ」ってことだと思うんですよ。「シークレットシークレット」も、<足りないよ キミを知りたいの>って言ってるんだけど、でも常に知りたい、分かりたいっていう過程にしかない。分かることはできない。でも、だからこそ最終的には相手に全面的な信頼を置いちゃうんですよ。「分からないけどあなたを信じる」って。「Puppy love」でも<絶対的な信頼と 対照的な行動>があって、対照的な行動があるんだけども、でも信頼してるよ、と。それがツンデレって言葉に結びつくんですけど、ここでわざわざツンデレって言葉を持ってきた意味っていうのは、ウケ狙いというか時代性はもちろん、この「信頼を置く」というテーマがアルバム全体と共通するからでしょう。
吉田 100%のラブソングじゃないんですよね。まっピンクじゃない。J-POPでチャート上位にいるためには、ヒップホップでもレゲエでもロックでも、ラブソングにしなきゃ売れないっていうのは、それはリスナーからの要望でもあり、クリエイターがそれに応えた表現でもあるわけですけど。中田ヤスタカがやってるのは非常にラブソングなんだけど、ラブソングの「LOVE」って言葉を翻訳する時に「信頼」とか「友愛」って言葉にできるというか、ラブソングって見かけはあるんだけど、別の歌詞世界を開いている。
藤井 「愛」についての定義を、単純な恋愛感情だけに収めないっていうのは、音楽だけじゃなく文学や演劇といったあらゆる世界でずっと問われ続けているし、その点だけで言えば中田ヤスタカの詞は当たり前なんですよ。でもその「愛」をどこにどうやって繋げるのか、さやわかさんの言う「世界」との向き合い方に力点を置いていて、それが結果として「愛」という言葉の定義を変えているのかもしれませんね。
吉田 サンボマスターの山口くんなんかも同じですよね。彼は僕から君へのものすごい片思いを歌うんですけど、それは異性間の恋愛じゃなくて世代や性別を超えた連帯の曲にも聞こえるんですよ。見かけ上は非常にJポップ的なラブソングなんだけど違うふうにも聞ける、それを聞くことによってラブソングに慣れたリスナーの耳をこっそり作り替えてってくれるというか。ものすごく真っ当な、それしかないだろう! という戦い方だと思うんです。
さやわか 今回は本当に中田ヤスタカの歌詞がすごい。Perfumeの三人も77号の記事で語っていますけど、虚と実というか、ファンとPerfumeの関係とか、中田ヤスタカとPerfumeの関係を出しつつ、でも普通の人間関係のことにも取れるし、これまでの近未来っていう世界観のアプローチも残しつつ......とにかく深めていってるなあと。深めた結果として、多くのリスナーに広めていってる。『GAME』をきっかけに、中田ヤスタカの歌詞がもっと注目されるようになるといいなあって思いますけどね。


<Part.5(4月26日掲載予定)に続く>