【寄稿】連載第2回:柳田國男で読む主権者教育

【寄稿】 連載第2回:柳田國男で読む主権者教育 『郷土生活の研究法』を読む/内省する社会

  • 2017.02.10

柳田國男『郷土生活の研究法』
柳田國男『郷土生活の研究法』
岩波文庫
大塚英志『感情化する社会』
大塚英志『感情化する社会』
太田出版

 このように柳田は「私」でもなく、「国家」でもなく、「社会」を発見した。明治30年代に成立した「悲惨小説」「深刻小説」といった社会階級や貧困を主題とした小説群が登場し、文学史の上では自然主義の前史として片づけられる傾向にあるが、この時期の文学が柳田を含めて「国家」や「私」ではなく「社会」を発見していたことは案外と軽視されている。
 官僚となった柳田が殺人犯などの刑事事件の資料を田山花袋らに示し、小説を描くことを求めた意味もこのような文脈から明らかになるだろう。「社会」を描く文学を花袋に求め、しかし、花袋はこれを拒み、「私」を描いたのである。
 しかし「悲惨小説」は問題発生の場としての「社会」をやや誇張された読み物として見出したに過ぎなかった。それに対して柳田がこの後、辿りつくのは「社会」を「問題発見」と「解決」の場、つまり責任主体として「つくる」ことである。
 それが「社会」という「内省」する主体の主張となる。

 一点だけあらかじめ誤解を招かないように注意を促しておきたいのは、「社会の責任」を考えることで「国家」と「私」を免罪するわけではない、ということだ。「内省する社会」に於いて、「私」は「社会」の「問題」を発見する能力が求められ、「国家」はそのような「有権者」によって委託され「社会問題」の解決、つまり社会政策を立案、実行するツールとして機能することが求められる。だから柳田の「社会政策論」としての学問が可能になるのは、普通選挙の施行まで最終的に待たなければならなかった。「私」の意思決定が「国家」という公共性を構成しうるシステムがまず必要だった。
 それ故、柳田は大正デモクラシーの論者の一人として朝日新聞に普通選挙施行の社説を多数執筆したのである。そのことは、今では『柳田國男全集』の中で確認ができる。この点は章を改めるとして、柳田が昭和の初頭、彼の「学問」を構想し直し、入門書を次々つくる背景には、普通選挙という「社会」の内省を政策に繋げる基本的な仕組みが出来上がったことが、まず、背景にある。

 さて、このような文脈の中で「社会」の「内政」を説く書として書かれた『郷土生活の研究法』を読み解いてみる。『郷土生活の研究法』は昭和10年に刊行され、現在、国会図書館デジタルライブラリーで公開されKindleで無料で読める「四版」は、昭和17年12月10日の発行だから、太平洋戦争下も重版されていることがわかる。戦時下にこの書を含む柳田の書が読み継がれたことは、この国の「自前の戦後民主主義」の確実な基礎の一つになっているはずである。
 この書はヨーロッパ民俗学誌や国内の調査法、資料分類法を含む体系だった民俗学の入門書であるが、柳田はこの書が刊行された時点では「日本民俗学」という呼称を「採用していない」「さうするには時期が早い」(「紹介と批評」『民間伝承』第1号、1935年)と留保している。その前年には『民間伝承論』を上梓しているが、こちらの方も民俗学の語は書名に記されていない。それはこれらの書が、民俗学ではなく、「社会科学」の書だからである。
 『民間伝承論』の中で恐らくは柳田の筆と思われる冒頭の「序」の中に以下の一節があることはまず注意したい。彼の学問の方法論から定義をするくだりである。

種々なる仮定はこれによって確認せられると同時に、誤れる在来の想像は事実の前に無力となるであろう。 少なくとも新たなる判断は、次々にこれによって導かれ得る希望が生れて来る。 いわゆる社会科学を「科学」たらしむるの途(みち)は、実験せられたる事実の増加とその整理より他にはない。
(柳田國男「民間伝承論」『柳田國男全集28』1990年、筑摩書房)

 このように柳田は、これから確立せんとする自身の学問を「社会科学」と定義していることがはっきり示されている。そしてその「社会科学」を形成するものは「実験せられたる事実」である。ここで言う「実験」とはエミール・ゾラの言うところの「実験」である。つまり、単なる自然科学的な観察を行うのではない。
 この「実験」の語法については、例えば、以下の引用が参考になろう。

小説家の目的も科学者の目的と同じであつて、一定の社会環境に於て、人間の知的、情的生活がどうなるかを、実験的に示すことにある。若し、他日これが、法則的に正確に知悉されるやうになつたならば、個人及び環境を変へることによりてよりよき社会状態に達することができるであらう。かくの如く高貴にして、かくの如く応用の広汎な仕事はまたとあるまい。
(平林初之輔「エミイル・ゾラの文学方法論」『平林初之輔文藝評論全集 上巻』文泉堂書店、1975年5月1日発行)

 これは大正15年に書かれたマルクス主義系の批評家で、プロレタリア文学の理論化に尽力した平林初之輔のゾラに関する一文の一節である。ここでは、小説を書くという行為が、社会的実験として受けとめられていって、そこにゾラの自然主義とプロレタリア文学の近さがあることが伺える。
 柳田の『民間伝承論』は既に見たように昭和9年刊である。
 柳田が平林の影響下にあるとはさすがに言わない。柳田のゾラ的な自然主義の受容は、明治期に彼が歌から社会への帰着を果した時になされるが、この『民間伝承論』『郷土生活の研究法』の中で改めてゾラの『実験小説論』的な考え方が、マルクス主義的文脈を遠景に言及されていることには注意したい。
 その点で『郷土生活の研究法』の以下のくだりは注意していい。

ゾラの『ルウゴン一族』という小説の中に、ある空想青年が貧しい労働者の家に来て、貧乏の原因を説き立てる場面がある。老いたる父も乳呑児(ちのみご)を抱いた女房も、わからぬなりに自分たちの眼の前の問題だから、溜息(ためいき)をつき眼を見張って、一心になってその言葉を聴いている情景がよく描かれている。日本にもまたそんな時期が来たのである。これはまことに致し方のないことで、百年も前から人の知識慾はすでに目覚めているのに、無理にある種の答えがたい問題を封じておこうとすれば、袋はどこからか破れずにはいない。口を開いて正々堂々と出すものは出させ、入れるものはまた入れなければならぬ。つまり平民史の攻究は、平民の強い自然の要求であり、いつかは与えずにおられぬ学問である。
(柳田國男「郷土生活の研究法」『柳田國男全集28』1990年、筑摩書房)

 『ルウゴン一族』とは、「ルーゴン・マッカール叢書」のことで、「空想青年」とはゾラ自身が傾斜した空想的社会主義思想の青年を意味する。「平民」ということばも挑発的である。明治期、柳田自身が自分も社会主義の側だと口にした少し後、幸徳秋水の平民社が結成され、彼は平民主義にデモクラシーとルビを振ったことはよく知られる。秋水と同時代を生きた柳田にとって、ファシズムにこの国が向かう昭和8年から9年にかけて、自らの学問を「社会科学」と言い、「平民」の語を用いることのニュアンスはやはり正確に読みとっておきたい。
 柳田が空想社会主義者の青年が労働者の「貧乏の原因」を説き起こすゾラの小説を引用し、「日本にもそんな時期が来た」と書く意味は思いの外、重い。
 先の平林の文章では、ゾラの実験小説を理想主義と対比して、こうも記す。

実験小説家の役割は、これを理想主義小説家と比較することによりて一層鮮明となる。こゝで理想主義小説家といふのは、観察と実験とを無視して、超自然的な、不合理なものにその作品の基礎をおき、現象の決定性を逸脱した、神秘的な力をゆるす作家のことである。
 実験小説家の真の任務は、既知の事柄から出発して未知の事柄を探り求め自然を科学的に知悉することである。理想主義小説家は、未知なものは既知のものより美しく尊いものであるといふ馬鹿げた口実のもとに未知なものに甘んじてゐる。自然主義小説家は、如何なるものにも観察と実験とを用ふるが、理想主義小説家は分析することのできない神秘力をみとめ、未知の中に、法則の外に安住しようとする。
(平林初之輔「エミイル・ゾラの文学方法論」『平林初之輔文藝評論全集 上巻』文泉堂書店、1975年5月1日発行)

 柳田はマルクス主義者ではないが、彼の名前のない学問を、違う形で理想主義、つまり「空想」的社会主義から「科学」へと転換する学問として、この時、構築しようとしていたのである。「実験」の一語にはそのような意味が込められている。柳田はマルクス主義的なニュアンスのある「平民」を用い「常民」を行ったという批判もあるが、この『郷土生活の研究法』の中では繰り返し「平民」が使われている事実を素直に受けとめるべきだ。
 そういう視点からこの書の「序」として位置付けられる「郷土研究とは何か」を今回は読み解いていきたい。

著者プロフィール(大塚英志

大塚英志(おおつかえいじ)1958年生まれ。まんが原作者、批評家。最新刊『感情化する社会』。本書は韓国での翻訳出版が決定。本書に関わるまんが原作としては、山口二矢、三島由紀夫、大江健三郎らをモチーフとした偽史的作品『クウデタア2』、本書に関連する批評として、『物語消費論』『サブカルチャー文学論』『少女たちの「かわいい」天皇』『キャラクター小説の作り方』『更新期の文学』『公民の民俗学』などがある。

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