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アメリカでのゲイ文学・ルネッサンス

『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』 溝口彰子/2018年12月電子書籍版発売

 「JUNEテイスト」については、栗原知代さんが「傷ついた子供が愛によって癒される」と定義されています。それにプラスして、「魂の救済のためには肉体の死もありうる」という意味でのアンハッピー・エンドもしばしば見られるのが後年のBL作品との違い、というのがありますよね。ところで、私は1999年から柿沼さんにBL作家さんを何人か紹介していただいたんですが、みなさん、柿沼さんのことは『JUNE』で活躍していた「素敵なお姉様」的に思っていらっしゃる感じがすごく伝わってきました。誌上に登場されたのはいつからですか?

 何年かははっきり覚えていませんが、1980年代はじめごろだと思います。『JUNE』の初期からかかわっていた中島梓さんが、JUNE文学ガイドの日本篇と西洋篇を載せてらして、英語圏の翻訳・未訳のゲイ小説とかもザーッと出して紹介して、それに対して読者からも「わたしこういうの知ってます!」「こういうのもあります!」みたいな反応がたくさん来て、栗原知代さんや八木谷涼子さんや織田杏奈さんが芋づる式に洋書を紹介されたりしていました。読者による紹介投稿を中心としたJUNE文学ガイドはそのあと江上冴子さんが中心になって連載が始まりました。

 後年、『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』(1993)に寄稿している方々ですね。

 そう。その特集のころ、1978、9年くらいは、エドマンド・ホワイトとかフェリス・ピカーノを輩出した「ヴァイオレット・クィル・クラブ」(1970年代後半から80年代初頭にニューヨークで活動していたゲイ作家のグループ)が盛んになっていて、アメリカでのゲイ文学のルネッサンスのようなことが起こっていました。そういった本が日本の洋書屋さんにも入ってくるようになったので、いろいろ読んでいたんです。で、佐川くんとの雑談から、当時『JUNE』に連載されていた栗原知代さん翻訳の『愛の叫び』(1990。原書1970)がすごく人気があったので、じゃあ別の作家も紹介して下さいという話になり、1回書いてみて「あー終わった、よかった」とほっとしていたら、佐川くんから「次はいつ書くの?」と。最初は1回のつもりだったのが連載になったんです。

「JUNEっていうのは心の不良だ」

 なるほど。翻訳家デビューは1984年ですよね。

 そう。そうしたらデビュー後数年でゲイ文学ブームが来たんですね。『モーリス』の映画が公開されたり(日本公開は1988)。

 1988年に出たハードカバーの和訳版は、全体にピントが甘いし誤訳も多かったですが、10万部単位で売れたとききました。今年、光文社古典新訳文庫から新訳(翻訳:加賀山卓朗)が出たのは良かったです。

 そうね。で、ブームが来たので、そのジャンルに興味のある男性の編集者と組んでいろいろ翻訳して紹介できました。あの頃の「ゲイ文学ブーム」がどれくらいすごかったかというと、エドマンド・ホワイトの『ある少年の物語』(1990。原書1982)を翻訳して出したとき、発売の日は私はイギリスにいたんだけど、編集者からエアメールで「すごいです、一日で重版が決まりました」って。

一同 すごーい!

 あれはびっくりしました。

 1980年代から1990年代にかけて、英米ゲイ小説を翻訳しつつ、『JUNE』誌上では「JUNE洋書ガイド」として未翻訳のゲイ小説を多数紹介されていたころ、『JUNE』の読者さんたちの反応はどうでした?

 なぜ自分が男性同士の恋愛物語に惹かれるのか、理由を知りたいという人が多かったと思います。私自身も漠然としていて、はっきりとは定義できなかったけれど、「もしかしたら怒りが私をそこに向かわせたのかもしれない」というふうなことをちらっと書いたら、どどっと手紙が来ました。……ただ、私はそこまで怒っていたわけじゃなくて。歌手の戸川純さんが「ロックって、最初に歌い始めたころは、怒ってないと歌っちゃいけないんだと思っていた。でも実際歌ってみたら、怒ってなくても歌えるんだ、自由になれるんだと思った」というようなことをおっしゃっていたんだけど、それに近い感覚ですね。

 なるほど。

 だから、私自身はその時点ですごく怒っていたわけではないけれど、『JUNE』やゲイ文学を必要とした根底に怒りがあったことは確かなんですよね。だって私が大学を卒業して社会に出た1970年代後半って、女性には本当に選択肢がなかった。お勤めを3年くらいして結婚するか、卒業と同時にお見合いをして結婚するかしかなくて。電車に乗れば痴漢にあうし、会社に行けば嫌なセクハラおじさんはいるし。そういう鬱々としたものを抱えていたことに怒っていたのかもしれない、と書いたら、すごい反応でした。

 共感のお手紙が寄せられた、と。

 そう。ただ、私の感覚としては、中島梓さんが『マンガ青春記』(1986)のなかで書いていた「わたしは普通の女の子でいなければならなかったあいだ、とどのつまり苦しかった。結構陽気に楽しくやってきたけど、ずっと私は何かが変だとは感じていた」、まさにこれでした。佐川君は「JUNEっていうのは心の不良だ」という風に言っていたけど、私は心の不良として『JUNE』を必要としていたのだろうなと思います。あのころは隠していて知られたくないというよりは、「てめーらにわかられたくなんかねーよ」って感じでしたね。

 「ふつう」の人たち、「一般人」にはわかられたくない、ですね。

 まあでも、「JUNE洋書ガイド」やゲイ文学の翻訳をしていくうちに、わかられたくないもへったくれもないわ、と変わりましたけど。

 プロとしてひろく世に作品を送り出すわけですものね。

 ただ、あの頃身内に、「こんな気持ち悪いこと考えてたって知らなかった」と言われたのはショックでしたね。

 それはショックですよね。

 ただまあ、最終的には支持してくれました。その人も英語で身を立てたかったのが戦争でダメになったので、「もうなんでもいい、英語で身を立てられるなら」って感じで。……私の場合、ショックを受けてもそこで対決はしないのよね。「ちょっと何かが変だ」。だからまさに中島梓さんの言葉通り。


〈プロフィール〉

溝口彰子

ビジュアル&カルチュラル・スタディーズ研究。クィア理論。『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』と『BL進化論〔対話篇〕ボーイズラブが生まれる場所』が2017年度「センスオブジェンダー賞特別賞」受賞。映画、美術、研究倫理など論文記事多数。複数の大学で講師をつとめる。

柿沼瑛子

翻訳家。早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。訳書にローズ・ピアシー『わが愛しのホームズ』、エドマント・ホワイト『ある少年の物語』、パトリシア・ハイスミス『キャロル』他。フェロー・アカデミー翻訳講師。