連載

第2回
2018.8.29

未来の宗教はどうなるのか? これから世界はどうなるのか?

2017年10月4日、LOFT9 Shibuyaにて

ウエルベック「服従」の根底にあるもの

『服従』
『服従』
ミシェル・ウエルベック/河出書房新社

島田 先ほど中田さんが取り上げたウエルベックの『服従』という小説ですが、あの小説自体はくだらないし、イスラームのことも分かっていない感じがするのですが、あの本には、フランス人の中に服従に対する強い憧れがあることがはっきり現れていますね。フランスは革命によって宗教的権威である教会を撲滅しようとした。だけど結局のところ、キリスト教的な考え方が教会を抜きにしてもやっぱり存続している。無理に政教分離を強行しているが故に、逆に「何かに服従したい」という願望が強まっている気がするんです。ミシェル・フーコーの議論にしても、権力構造を指摘しているように見えて、実は権力に服従することへの強い憧れが表現されている思想ではないかと僕はずっと思っていたんです。そういう意味で「服従」というタイトルには、カトリックに戻るわけにはいかない、だけどイスラームにはいけない。神の言ったことをそのままやるイスラームは西洋の合理主義者からすれば理不尽な宗教です。しかし、あの小説の根底には、そういう理不尽で不合理なものへの強い憧れが、あるような気がするんです。

中田 ちょっと文脈の違う話ですが、フランスは自分たちは自由・平等でなんにも服従しないということを、強く主張するわけです。でも、なにかを強く主張するときには、必ずそこに裏、隠されたコンプレックス、トラウマがある。実際に、フランス革命をやった後に、ナポレオンが出てきて皇帝にわざわざ選んでしまう。その後、せっかくナポレオンがいなくなった後に、ナポレオン三世というものまで出てきてしまって、マルクスに笑われる(笑)。実は彼らは全然自由を愛してなどおらず、独裁者が大好きなんです。ヒトラーにもすぐ降伏してペタン元帥の独裁のヴィシー政権ができるし、第二次世界大戦後も、ドゴールが「強い」大統領になる。特にシャルリーエブドの事件のときはひどかった。テロが起きたといって国民全体が1つにまとまって旗を振る。自由でも何でもない全体主義者なんです。そういうことが、彼ら自身に意識出来ていない。それが先程言ったようなトラウマということにかかわってくる。その意味で、おっしゃる通り、彼らは、実は服従に対する憧れがすごく強い。その裏返しで自由を言っているんだと思います。

島田 だから、フランスをイスラーム化するっていうことが、ある意味フランス人の解放になり得るという可能性があるってことですね。

中田 実際、先程ヨーロッパでイスラーム教徒に改宗した人たちの記事の話をしましたが、彼らはまさに自分たちは解放されたといっているんですね。ですから、ある程度の合理性は絶対にあるわけです。

島田 スペインが、イスラームに支配されていた時代っていうのはどうだったんですか?

中田 非常によかったというふうに思いますね。もちろんスペイン人はそうは言わないとは思いますが(笑)、少なくとも、スペインはそのあと異端審問の嵐が吹き荒れるので、どう考えてもイスラームの時代の方が寛容でよかったとはけっこう言われますね。

島田 イスラームに異端審問という考え方はないですよね。

中田 ないですね。無理矢理に言わせるというのはない。異端審問とは言ってもやってもいないことを無理矢理に言わせるわけです。イスラームでは、基本的に内心は出来るだけ隠そうとするので、全く逆になります。内心は信じていないとしても、そこはあえて突っ込まない。

島田 すると世界がイスラーム化した方がいいと言うことですかね(笑)

中田 もちろん、そういうことです(笑)

島田 日本人にもそういう感覚ってあるんですかね?

中田 私はそう思いますけどもね。

島田 少なくとも日本にも結婚などでイスラーム教徒の人が、かなり入っていますけれど、トラブルはないですね。

中田 大きなトラブルはないですね。ヨーロッパだとイスラーム教徒を焼き殺したりというようなことが起きていますが、そういうことは日本ではまだありませんし、イスラーム教徒の側がテロを起こすということもあまりありませんね。もちろん少数派だからということはありますが、今のところそういうことは起きていないですね。

島田 日本という国はよい意味でいい加減な宗教観があって、キリスト教のように正義とか、正統とか、異端とかそういうものを区別する考え方をとらないですよね。他宗教に対しても、「それは悪魔が付いている」というふうには捉えない。イスラーム教徒が入ってきたとしても、熱心な宗教活動をすれば日本人からは立派な人たちだとおそらく捉えられる。自分たちとの習慣とは違うことをやっている危険そうな人たちという受け取り方はしないと思うんです。

『日本人とユダヤ人』
『日本人とユダヤ人』
イザヤ・ベンダサン/角川文庫ソフィア

中田 まあ、そうですね。これは、今の若い人は知らないと思うんですけど、イザヤ・ベンダサンって、私が若い頃にすごく流行った思想家がいます。本名は山本七平ですけども、彼の考え方は、いまだに妥当性があると思います。山本七平は日本人は日本教徒だという考え方をした人です。たとえば、日本のキリスト教徒はあくまでも日本教徒のキリスト派であって日本教徒なんです。日本教のベースには基本的に「日本人=人間」という見方がある。日本人なら「ちゃんとした人間としての常識をわきまえ」ていなければいけないけれど、無知な外国人がやることならば大目に見られているということがあると思います。日本人が同じことをやると、暴力を振るわれることはなくても、職場にいられなくなるとか、おそらくかなりの反発を受けるのではないでしょうか。外国人だったらなんの問題もないですけどね。

島田 小池百合子さんは日本教徒なんですか?

中田 えぇ~とですね、非常に微妙というか、私は小池百合子さんはアラブだといっていいと思います。アラブというのは、実は2つ考え方があります。アラブ人を父親とするものがアラブ人という血統主義と、アラビア語を喋る者がアラブ人という2つの考え方が古くからあるんです。アラブというのは大きく分けてカフターン族とアドナーン族という2つに分かれるんですけれども、カフターン族というのはもともとの生粋のアラブ人で、周辺の民族がアラビア語を喋るようになってアラブ化したのがアドナーン族なんです。実はこの中に、アブラハムとかイスマイルといった預言者の系統が含まれる。ですので、彼らは、アラブ化したアラブ人です。つまり、アラビア語をしゃべればその人間はアラブになるわけです。なので私もアラブなんです。小池百合子も当然アラブなんです(笑)

―――アラブ人女性首相が現れるかもしれないんですね。

島田 少なくとも都知事ではあるからね。東京都をアラブ人が支配している(笑)

―――アラビア語通訳なんで、喋れるわけですよね。

中田 喋れますよ。アラブはまだエジプトあたりに行くと文字の書けない人がいますから、それに比べれば我々の方が遥かに「アラブ文化人」なんです(笑)。当然、彼女もアラブ人として扱うことが出来る。思考様式も、私も含めてですけれども、アラビア語を喋らせると人格がガラッと変わるんです。私も日本語では、こういうふうに温厚に喋っているんですけど、これが全然変わってしまう。キツくなるんです(笑)。基本的にアラブ世界は、言葉も違うし、民族も違う人っていっぱいいるんで、日本のような忖度とかはあんまりないんですね。

島田 あまりじゃなくて、全然ない。

中田 全然ないですね。言いたいことは言う。言いたいことを言って、10のものが欲しければとりあえず1万って言うというところから始めるんですね。そういうことを日本でやると「恥ずかしい」とか「要りません」というところから始めたりする。交渉のパターンが全然違うわけです。そういう点から小池百合子を見ると、「ああ、アラブ人だな」と感じます。

島田 どこが一番アラブ人ですか。

中田 これはイスラーム的にいいことではないですけれども、とりあえず「今よければいい」という考えですね。たぶん「希望の党」も、あくまで自分が総理大臣にステップアップするためにあるような気がしますが。

―――彼女はどうしてカイロ大学に行ったのですか?

中田 もともと小池百合子さんのお父さんが本物の右翼だったんです。戦前は大陸浪人といって、大東亜共栄圏を目指して王道楽土を作ろうと言って世界に出ていった人たちがたくさんいたんですが、その生き残りの一人が小池さんのお父さんでした。石油関係の仕事をしていたのですが、私自身もカイロに留学していたとき小池さんのお父さんに連れられて戦前に日本の外務省のアフガニスタンで工作活動をしていた方やエジプトで文化大臣をされていた方に紹介されたりというつながりはありました。

当時はエジプトとかインドネシアなど石油もあればイスラーム文化もある、そういうアジアの国々をまとめて戦前の夢をもう一度という人たちがいたんです。小池さんのお父さんもそういう方で、その影響で、小池さんはエジプトに行っている。ですから、いま国粋主義的なことを口にしていますが、もともとそういう人なんです。

島田 アラブの大学を出た日本人は珍しいですよね。

中田 実際、アラブの大学を卒業した人間は20数人しかいません。女性は3人でそのうちの1人です。あとの2人はイスラームの大学なんですね。非常に珍しいんです。

―――ちょうど、東京都知事が、アラブ人だというこ、そして、もしかしたら「第三文明」としてカリフ制が実現するかもしれない。まさにこの場所にいる我々にも共謀罪が適用されかねないラジカルな?結論になりました。お2人ともありがとうございました。

(司会:穂原俊二/構成:田中真知)

前回≫第1回 どうなる「イスラーム国」消滅後の世界?

プロフィール

島田裕巳
島田裕巳(しまだ・ひろみ)

一九六〇年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田一九五三年東京生まれ。宗教学者、作家、東京女子大学非常勤講師。76年、東京大学文学部宗教学科卒業。84年、同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻は宗教学。日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。日本宗教から出発し、世界の宗教を統合的に理解する方法の確立をめざす。主な著書に『なぞのイスラム教』 (宝島社)、『葬式は、要らない』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『もう親を捨てるしかない』(以上、幻冬舎新書)、『戦後日本の宗教史』(筑摩選書)、『ブッダは実在しない』(角川新書)など多数。

中田考
中田考(なかた・こう)

一九六〇年生まれ。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム教会理事などを歴任。著書に『イスラームのロジック』(講談社)、『イスラーム法の存立構造』(ナカニシヤ出版)、『イスラーム 生と死と聖戦』(集英社)、『カリフ制再興』(書肆心水)。監修書に『日亜対訳クルアーン』(作品社)。

撮影=野口博

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